仏法の鏡に映し出された真実の人間の姿は、悪の限りを尽くしている極悪人です。

「心常念悪 口常言悪 身常行悪 曽無一善」(大無量寿経)

(書き下し:心常に悪を念じ、口常に悪を言い、身常に悪を行い、曽て一善無し)

(訳:心は常に悪を念い、口は常に悪を言い、身は常に悪を行い、今だかつて1つの善もしたことがない)

ここで重要なことは、非連続の連続を意味する「恒」ではなく、「常」を使っている点です。絶え間なく罪悪を造り続けているということです。

別の経にも、「一人一日のうちに八億四千の憶いあり、念々になすところこれみな三途の業なり」と説かれています。これは、「人間は一日の中で、無数のを心で造っているが、これらはすべて悪業であり地獄行きの業である」という意味です。

他にも、膨大な罪悪を造っていることは聖教に縷々説かれています。

「もし起悪造罪を論ぜば、なんぞ暴風駛雨に異ならん」(安楽集)

(訳:もし悪を起こし罪を造るということを論ずるならば、どうして暴風や豪雨と異なろうか。暴風や豪雨の如く罪悪を造っているのである)

 

「もとより罪体の凡夫、大小を論ぜず、三業みな罪にあらずということなし」(口伝鈔)

(訳:元々、罪悪の塊である凡夫であるので、罪悪の大小に関係なく、心と口と身体で造る行為はすべて罪悪である)

心が火の元

悪は造りやすい

雑毒の善

悪人のくせに善人ぶるな

無間地獄

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第2章 悪人
2.1 罪悪の具体例
2.2 心の悪
2.3 すべての人間は極悪人
2.4 罪悪の自覚
2.5 宿善
2.6 求道は悪人になる道