たとえば、10cmの鉛筆があるとします。この鉛筆は20cmの鉛筆よりは短いですが、5cmの鉛筆よりは長いです。10cmの鉛筆そのものは、長いとも短いとも言い切れません。このように、比較するものによって変化することを相対的といいます。  

人間の知恵は相対的な知恵であり、相対智とか分別智といいますが、幸せも相対的です。つまり、絶対的な幸せや絶対的な不幸というのはないということであり、その人の精神状態によって、あることが苦にも楽にも変化するということです。

次のような言葉は、幸せが相対的であることを教えています。

「世の中には幸福も不幸もない。ただ、考え方でどうにでもなるのだ」(ウィリアム・シェイクスピア/劇作家)

 

「不幸はナイフのようなものだ。ナイフの刃をつかむと手を切るが、とってをつかめば役に立つ」(メルヴィル/小説家)

 

「異なる精神にとっては、同じ世界が地獄でもあり、天国でもある」(エマソン/哲学者)

 

「楽観主義者はドーナツを見、悲観主義者はドーナツの穴を見る」(オスカー・ワイルド/劇作家)

 

「苦しい時には自分よりもっと不幸な男がいたことを考えよ」(ポール・ゴーギャン/画家)

 

「さあ、元気を出して。最悪の事態はまだこれからやってくるんだから」(フィランダー・ジョンソン)

 

「我々に武器をとらしめるものは、いつも敵に対する恐怖である。しかも、しばしば実在しない架空の敵に対する恐怖である」(芥川龍之介)

 

幸せが相対的であることから様々なことがわかります。

・人と比べた幸せ

たとえば、人との比較によって変化します。

「重要なのは、他人と比べた時の自己の能力なのである。その理由は、自分に対する需要が大きな意味を持つ現実社会では、社会において自らが占める相対的な位置が、絶対的に重要になるからだ」(ロバート・クルツバン)

上と比べれば苦しくなり、下と比べると幸せを感じます。

どれほどセレブになっても、周りがセレブだらけだと恵まれているとは思えません。

世界的に見れば恵まれた環境にいる日本人が、恵まれていると実感できない原因の1つとして、身近な人と比較するからです。

「英国では、失業率が高い地区の失業者ほど不幸ではないことがわかった。仕事に就く可能性が減ることによる幸福の代償は、周りに多くの失業者がいるおかげでさほど恥を感じないことで得られる幸福の利得より少ないように思われる」(キャロル・グラハム/メリーランド大学公共政策学部教授)

 

「実のところ、ある程度裕福な生活をしている人の主観的な幸福度というのは、お金が増えてもあまり変わらないようなのである」

「お金と幸せの関係で大事なのは、自分と周囲の人との相対的な収入の違いである。

日本は戦後、高度成長期を経てバブル期に至るまで、物質的な豊かさを手に入れてきた。それにもかかわらず、1958年から1987年の間に、主観的幸福度の国民平均はまったく上昇していない。この間、収入は5倍に増えているにもかかわらず、主観的な幸福度はまったく変わっていないのである。つまり、人がその時代において幸せだと感じているかどうかに、収入は影響していないのである。

当然、現代人が戦後の貧しい暮らしに戻れと言われたらそれは不満だろう。でも、その時にその環境で生きている限りにおいては、別に不幸だとも感じていないのである。これは日本に限った話ではなく、イギリスでもアメリカでも確認されている一般性のある現象だ」(金井良太/元英国サセックス大学准教授)

 

ある日、ギリシャの大富豪アルチビヤデスがソクラテスのもとへやってきて、自分が所有する広大な土地を自慢しました。

それを聞いたソクラテスは、何を思ったのか世界地図を持ってきて、それを広げました。

「その土地がどれだけ広いのか教えてくれ」

その言葉に驚いたアルチビヤデスが「いやいや、点にもならないよ」と言うと、ソクラテスは「点にもならない土地をもって、君は何を喜んでいるのかね」と言ったといいます。

大きなことを成し遂げ、大きな幸せを手に入れたと喜んでいても、それはもっと大きな世界と比較できていないからです。

ホームレスにも上下関係があるようですが、上のホームレスが偉そうに威張っていてもホームレスはホームレスだと思うでしょう。

宇宙飛行士の油井亀美也は、「美しい、でもあまりに小さい地球」と言いました。大抵の人は地球が小さいとは普段思わないでしょうが、それは地球上で生活しているからです。もっと大きな世界と比較すれば、地球が小さく狭い世界だとわかります。ちなみに、アマゾンの創業者ジェフ・ベゾスは宇宙飛行を行った感想を「地球とその美しさだけでなく、その儚さに驚嘆し、畏敬の念に打たれる」と語っています。

美人だと言われて喜んでいる人もいるでしょう。正確には「周りの人と比べて比較的美人」なのであり、もっと美人と比較すれば、その人はブスになってしまいます。

学歴も同じです。他の学校と比較して優越感を感じている東大生もいれば、周りの東大生と比較して劣等感を感じている東大生もいます。

あらゆることに同じことがいえます。

誰もが大なり小なり「自信」を持っていることがありますが、比較する対象によって自信を持ったり失ったりするのです。

20世紀最大の心理学者とも評されるウィリアム・ジェームズは次のような話をしています。

「心理学者たることにすべてを賭けてきた私は、誰かが自分より心理学をよく知っていると聞いたら非常に悔しい思いをするだろう」

「世界で2番目に強いボクサー、あるいは2番目にすぐれた漕ぎ手であるという理由で、死ぬほど恥辱を感じるのが人間だ」

1匹のミツバチは、一生かけて働きに働いて、ようやくスプーン1杯の蜂蜜を集めるそうですが、人間もわずかな「蜜」を手に入れるために一生をかけます。ミツバチと何ら変わりません。

「日本のサラリーマンの生涯収入は平均2億5千万円。億単位のお金だからものすごい金額に思えるが、札束にしてみれば事務机の上に簡単に置けてしまう。大きなボストンバッグに入れれば持ち運べてしまうサイズだ。我々も一生働いてみても、ミツバチの集めたスプーン一杯の蜜を笑うことはできないのだ」(稲垣栄洋/静岡大学農学部教授/「生き物の死にざま」より)

 

・自分と比べた幸せ

また、過去の自分との比較によって変化します。

「人は自分のおかれた経済的状況そのものよりも、給料が上がったり下がったりという微小な変化に対して幸不幸を感じる。宝くじの当選者を研究した例があるが、宝くじがあたってお金持ちになれたとしても、その幸せは一時的なものですぐに消えてしまう。その逆もしかりで、大事故にあって人生がめちゃめちゃになってしまったような状況でも、不幸に感じる思いは長続きせず、人はその状況を受け入れてしまう。

つまり、物質的な豊かさによって得られる幸福度というのは、絶対的なものではなく、自分の過去と比較して相対的に感じているだけのものである。だから金銭的に幸せな気分でい続けるためには、常に今よりも高い収入へとステップアップし続けなければ満足できないことになる。だからこそ、どれだけお金があっても、さらにお金が欲しいと人は求め続ける。

国の経済成長は、政治課題としても一般市民の生活問題としても重要であるにちがいない。しかし、お金に対する幸せの評価がいま述べたように相対的なものだとしたら、皮肉なことに国民全員の給料があがっても、国民全員が幸せになるわけではなさそうだ。もしそうなら、とっくに日本人は幸せになっている。ジェレミー・ベンサムは『最大多数の最大幸福』を倫理の原点として掲げたが、国民の収入を上げるだけでは不十分で、お金とは別の心理的かつ主観的な観点から幸福について考える必要があるだろう」(金井良太)

 

「人は、その脳の特性から、欲求を充足する方向に行動する。そして人には、1つの欲求が充足されると次の段階へさらに欲求を進めようとする傾向がある。このため、人は現在その人の置かれた位置がたとえ他人から高く羨ましいと思われていても、その位置そのものには満足できない。むしろ、欲求のベクトル(方向)が上向いていると思うことによって幸福感が得られるのである。したがって、人の幸福度とはその人がいる位置ではなく、そこから向かうべき方向が上向きかどうかによって決まるといえる」(松本元/脳科学者)

 

「本来王位にあるべき人が、王位を奪われていれば、自分を不幸だと思い、自分の現在を悲しく思う。彼が、現在の自分を悲しく思うのは、本来王位にあるべき身が、王位にいないからだ。

同様に、片眼の人が自分を不幸だと感じるのも、本来人間が2つの眼を備えているはずなのに、それを欠いているからだ。人間というものが、もともと目を1つしかもっていないものだったら、片眼のことを悲しむ者はないに違いない」(吉野源三郎著「君たちはどう生きるか」より)

 

お笑い芸人の波田陽区は「ギター侍」がブレイクし、月の最高収入は2800万円にもなるなど、「毎日が夢心地のよう」だったといいます。

しかしその後、人気が下がり、生活できるぐらいの給料はもらっていたものの、「テレビに出ずっぱりという世間の感覚が強すぎた」ため、「不安で、心が震えた。焦りました。怖くて、両親にも家族にもつらい、とはいえなかった」と語っています。

今や、売れっ子芸人の一人となった有吉弘行は、猿岩石としてブレークした後に人気がなくなったことが人生で一番辛かった、と言っていました。

また、彼は猿岩石のブレーク前には、台所で体を洗ったりとかなりの貧乏生活をしていたそうですが、その生活自体は苦しくなかったとも言っていました。

もっと便利なものができると、今まで便利だったものが不便に感じるようになります。

生まれつき障害がある人は障害を不便と思っておらず、人生の途中で障害を持った人は不便だと感じるようです。

百喩経には次のような話があります。

昔、何百頭もの牛を飼育する愚かな男がいました。

ある日、その牛の中の一匹が虎に襲われて殺されてしまいました。これを見た男は「もうダメだ。一匹殺されては、もう面倒を見る勇気も張りもなくなった。こうなっては、一匹殺すのも、百匹殺すのも同じことだ。殺してしまえ!」と全部殺してしまいました。男は、さも満足げに、うす笑いを浮かべながら家へ帰って行ったのでした。

もう1つ百喩経から紹介しましょう。

昔、小金を貯めていた貧しく愚かな男がいました。

ある時、この男は村のとある大金持ちに腹を立て、家にあった金を捨てようとしました。通りかかった人が、「なぜそんな大事な金を捨てるのかね?」と聞くと、男はこう答えました。

「だってバカバカしいじゃありませんか。私はボロボロになるまで一生働いたって、あの金持ちの爪の垢にもならない。これっぽっちの金、思い切って捨てたほうがさっぱりするさあ」

 通りかかった人は呆れました。

「バカなことを言うもんじゃないよ。その金がなかったら家族はみんな餓死してしまうよ」

それを聞いた男は金を捨てるのをやめ、家に帰って行ったのでした。

これらの話を聞けば、誰もがバカな奴だと思いますが、他人や過去の自分と比較して、ちょっとした落差に苦しんで自暴自棄になってしまい、手に入れた幸せを自ら壊してしまうという人は多くいます。

 

・偽の苦楽

今の苦や楽は自身の迷った分別智で勝手に生み出した、いわば偽の苦楽です。もっと大きい苦や楽がやってくれば、今の苦や楽は消えてしまいます。その偽の苦楽に振り回され、最後は絶対的な苦である死に飲み込まれて地獄に堕ちるという流れが人間の一生です。

 

・楽しみがあるのは不幸なこと

「楽しみ」と「苦しみ」の区別、つまり善と悪の区別がある世界に真の安らぎはありません。幸せや楽しみがあるというのは、実は不幸なことなのです。

 

・幸せは心で決まる

幸せは心の問題です。自分の心が幸せや不幸といったことを決定します。つまり金そのものでも、恋愛そのものでも、家族そのものでもなければ、ウイルスそのものでも、地震そのものでも、ガンそのものでもありません。これらは、きっかけにすぎません(仏教では縁という)。

理屈から言えば、「どんな縁がやってこようが幸せでいられる心」になることができればいいということになります。

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1.2幸せの欠点
〇続かない
〇安心できない
〇満足できない
〇相対的
〇苦しみが解決できない
〇不幸になる人を生む
〇有無同然
〇死
〇幸せになれない