「人間は悪いことをしないと生きられない。だから地獄は仕方ない」という人もいます。関連して、「苦は耐えられる」「苦は脳が生み出した幻」「みんな地獄に堕ちるのなら怖くない」といったものもあります。

このように思ってしまう理由は、たいして苦しくない地獄を想像しているからであり、他人事に思っているからです。

また、このように言う人は、この世の地獄もまず知りません。

ジョン・ポーキングホーンは、悪が実在的な性質ではないという主張について、「これは、悪の経験の恐ろしい強烈さを理解しておらず、あまりにも気楽な理論」と言っています。

哲学者のボルテールは「幸福は夢にすぎず、苦痛は現実である」と表現しました。

火に触れただけでも耐えられないはずです。「心頭滅却すれば火もまた涼し」などとはどうしても思えないでしょう。実際に激しい苦がやってくれば、「仕方ない」では済ませられません。「何を差し置いてでも優先して解決したい」という欲求が生まれます。

「私たちが死に直面した時、生来もっていた土着の死生観を捨て、『死は刹那生滅の一時にすぎぬ』として現実を素直に受け止めることができるでしょうか。あるいは最愛の者を失っても、『無常は世の常』といって流せるでしょうか。とても俗人ではできません。わが事(主体的問題)と他人事(客観的問題)は別次元のものです」(泉美治/大阪大学名誉教授)

こんな話もあります。

源信が7歳の時のことです。

川で遊んでいると、比叡山の僧侶がやってきて弁当箱を洗い始めました。

それを見て源信は尋ねました。

「お坊さん、どうしてこんな汚い水で洗っているのですか」

「私たちにはキレイも汚いもないのだよ」

こう答える僧侶に、源信は再び尋ねました。

「ではなぜ洗うのですか」

洗うということは汚いと思っているということであり、キレイと汚いの区別、つまり善悪の区別をしているではないか、と源信は指摘したのです。

僧侶は返答に詰まり、偉い智恵のある子だなと感心したといいます。

この時代の比叡山の僧侶ですから、それなりに一生懸命修行していたでしょう。それでも、どうしても善悪を区別してしまっていたのです。 まして死後の地獄です。「仕方ない」などと済ませられるはずがありません。人間心理からいって、どうしても不完全な地獄(たとえば苦しみに間がある地獄など)を想像してしまいますが、近づくことは可能です。

次へ「「罪悪を造ればわかる」」

前へ「「善悪は人それぞれ」」

 

5.3苦関連
「善悪は人それぞれ」
「地獄は仕方ない」
「罪悪を造ればわかる」