この分野にあまり興味がない人も多いでしょう。
比較的肯定的な人であっても、自分で積極的に真偽を追究しようとまで思う人は少なく、興味がある人や、科学の発展に任せるといった「待ち」のスタンスでいる人がほとんどでしょう。かくいう私も、「ある事実」を示唆する証拠が出てなければ、そのようなスタンスでいたはずです。否定はしなかったと思いますが、それほど優先順位が高いことだとは思わず、他のことを優先していたでしょう。
しかし、「ある事実」を示唆する証拠が出ているとなると話が変わってきます。「ある事実」とは「死後は必ず地獄」ということです。これを示唆する証拠が出ているとなると、緊急度は一気にあがり、そのようなスタンスではいられません。
これほど人間にとって重大なことはありません。火に焼かれれば、火を消すことが最優先になります。猛火が迫ってくれば、猛火を避けることが最優先になります。死は将来的には100%、早ければ今日やってきます。積極的に興味を持って真偽を追究しようとしなければなりません。事の重大さにおいて、天動説か地動説かといった問題の比ではないのです。
・優先すべき超心理研究
同じことは超心理に興味がある人にもいえます。
優先すべき超心理研究は、死後の地獄の解決法です。他の研究よりはるかに優先度が高いのです。
そうであるのに、いつまでも他の研究を優先するということになれば、仏教でいう戯論(優先する必要のない議論)であり、有名な「毒矢のたとえ」のようなものでしょう。
1人の弟子が、何か思いつめた様子で釈迦のもとにやってきました。
哲学が好きだったこの弟子は、釈迦がある種の問題について解答を示さないことについて不満を持っていました。それは、「この世界は有限であるか無限であるか」といったものです。
「答えを示してくれないならば、私はもう修行をやめようと思います」
弟子がこう言うと釈迦は、1つのたとえを出しました。
「ここに1人の男がいて毒矢で射られたとする。彼が、私を射た者は誰か、私を射た弓はどんな弓だったのか、その矢はどんな形をしているか、それらのことが解明されぬうちはこの矢を抜いてはならない、といったならばどうだろうか」
弟子は答えました。
「なんという愚か者でしょう。何が大切かわかっていません」
現代の超心理学者も、きっと釈迦に叱られたはずです。
世界には優れた科学者がたくさんいるのですから、そういった人たちが優先すべき研究に注力すればもっと強力な証拠が早く見つかるでしょう。
・体験は遅い
ほとんどの人は0である決定的な証拠も100である決定的な証拠もないまま臨終に突っ込み、体験的に決定的な証拠を得ることになります。
言うまでもなく、死は体験した時には手遅れです。体験的に証明されますが、証明された時にはもう手遅れということです。ですので、自分が死ぬ以外の方法で明らかにする必要があります。
しかし、科学的な証明というのは体験しない人に信じさせる強い力を秘めていますが、遅いという欠点があります。アインシュタインが「私は、理詰めで考えて新しいことを発見したことはない」と言い、湯川秀樹が「科学は直観で把握して、後に理性で処理する」と言った通りです。
今のペースだと、科学で証明される前に自分が死ぬ可能性のほうが高いでしょう。
ですので、今出ている証拠から推論するという努力が重要になってきます。
また、さらなる科学の発展を待たずとも、信ずるに足る証拠はすでに出ています。
もっと言えば、福来研究の時点で証拠はすでに出ています。わざわざ福来研究から長々と取り上げた理由はいくつかありますが、「信じる」とは何か、証拠とは何かといったことを考えるいい機会でもあるからというのが1つです。
さらにもっと言えば、仏教が説かれた2500年前であろうと、それよりもはるか昔であろうと証拠はありました。目を向けようとしなかっただけです。
・「福来は信用できるのか」
福来研究の真偽を語る上で、福来が信用できる人間であるかという点も重要です。
それを知る方法もいろいろとありますが、たとえば周囲の人間の評価を知ることも有効でしょう。
たとえば、「念写はまやかし物」だと思っていた中沢信午(山形大学名誉教授)は、土井晩翠の紹介で初めて福来と出会った時の印象を次のように語っています。
「時代物の和服に身を包み、黒ずんだモンペをはいた、小柄な、白髪の、いかにも気さくな、一見書生風の老人と向かい合った時、これがかの福来博士か・・・・と、一瞬意外な感じであった。それ以前から、名前だけは話に聞いて知ってはいた。だが福来博士といえば、実際には有り得ない心霊現象を研究して、しかもそれを真実だと信じ込んでいる学者だと思っていたのである。(中略)彼の顔つきや話しぶりから、私は彼が偽りのない真正直な人間であるのを見て取った。また彼の博学と経験とは、とうてい並の人間の及ばないものであるのを知った」
また、福来は東京帝国大学を退職した後、高等女学校の校長に就いていますが、学校経営の理事と対立して校長を辞任することになりました。その時、生徒が同盟休校に入り、当時、女学校では珍しいストライキ事件にまで発展したといいます。いかに生徒からの信頼が厚かったかということです。
そして、白川勇記(東北大学名誉教授)は「福来先生は、生真面目な学者らしい学者でした。人格的にも尊敬できる人で、随分と誹謗中傷を受けたにもかかわらず、常に堂々としておられたですね」と語っています。