いわゆる幽霊となって生まれた人もいます。

統計を見ると6割前後の人が幽霊を信じているようです。

幽霊について仏教ではどう説いているか説明していなかったので、ここで説明します。倶舎論に詳しく説かれています。

幽霊のことを仏教では中有界の衆生といいます。中有界とは中間に有る世界ということで、人間界と次に生まれる世界の中間に有る境界をいいます。衆生とは生きとし生けるものすべてを指し、もちろん人間も含まれます。ちなみに輪廻の1サイクルを次の4つの期間に分けたものを四有といい、中有は四有の1つです。

生有:生を受ける瞬間

本有:生を受けてから死ぬまでの期間

死有:死ぬ瞬間

中有:死んでから次の生を受けるまでの期間

生まれる形式は化生です。

寿命は大体7日から77日(49日)ですが、中には10年、20年と長逗留する幽霊もいます。死後、7日、49日と法要を営むのは中有の寿命からきています。

形は本有形、つまり次生の形をしており、犬に生まれるものは犬の形を、人間に生まれるものは人間の形をしています。

そして、多くが寝た姿や座った姿、頭下足上の姿をしているといいます。寝た姿は畜生、座った姿は人間、頭下足上の姿は地獄に生まれる形ですが、ほとんどは頭下足上の姿だというのです。

また、浄天眼という通力で人間界はどこでも見えるといいます。夫婦の秘め事もトイレも自分の葬式も、その場にいるようにはっきりと見えるということです。

 彼らは夫婦交合の機会を必至に狙っています。中有という不安定な境界を嫌っているからです。夫婦が夜の営みを行おうとする時、多くの幽霊が集まり、受精の一刹那、女の胎内に宿ろうと我先に争っているのです。倶舎論には、「彼は業力の起こすところの眼根によりて、遠方に住すと雖も、よく生処の父母の交会するを見て、転心を起こすなり」と説かれています。しかし、幽霊の心身が微細なため夫婦には見えません。ちなみに、俱舎論には次のように3つの条件が調わないと生まれないと説かれています。

「母胎に入るは、要ず三事のともに現前するによる。一には母の身がこの時調適すること、二には父母の交愛和合すること、三には中有の身の正しく現前することなり」

彼らの食べ物は「香り」です。そのため墓場によく出ます。悪業を積んだ者は悪香を求め、善業を積んだ者は妙香を求めるといいます。「生まれ変わり」で紹介した勝五郎も、「供えてあった食べ物は食べることはできなかったけれど、煙の匂いでうまく感じた」と語っていました。

 仏教は無我説ですので、幽霊は肯定しますが、背後霊や地縛霊といったものは否定します。また、いわゆる生霊と幽霊は違います。生霊は「母が死ぬ直前に母の生霊を見た」という具合に使われます。

 「怖いものランキング」でよく上位にあがる幽霊ですが、人間が一方的に怖がっているだけで、仏教が説くように幽霊が危害を加えることはないと思われます。しかし、どうしても恐怖を感じるでしょう。幽霊に恐怖するのは生来的なものなのでしょう。ちなみに本尊があるところには幽霊は出ないと説かれます(本尊については第6巻)。

 幽霊は裸ではなく大抵は服を着ており、アクセサリーを身に着けているものもいますが、その理由について次のように説明する人は少なくありません。

「おとぎ話に出てくる幽霊は、たいてい足がなく白い服を着ているのに対し、実際の出現物は、体型も色彩も通常の生きている人物と同様の様相をしている。裸の出現物はめったになく、ほとんどの出現物は愛着のある服を身に着けていたり、もしくは殺害された当時の服を身に着けている。また、帽子、杖、刀、本、荷物やアクセサリーを持つ出現物が少なくない。出現物が携帯品を持っているという点は、大変重要である。なぜならば、出現物は肉体によるものではなく、むしろ投影する者の自己イメージによるものだからである。ある有名な例では、娘を亡くした母親が、その娘の遺体を洗って化粧した際に、頬に傷をつけてしまった。傷は化粧で隠したため、母親以外の者は傷のことを何も知らなかった。ところが、その娘の出現物が他の人の前に現れた時、頬にははっきりと傷が見られたのである。この場合、本人の死亡後も、死体の取り扱いがそれ自身のイメージに影響を与えたようである」(カール・ベッカー)

・コミュニケーションが途絶える

死んだ人とコミュニケーションが取れるとする超能力者はたくさんいます。しかし、ずっとコミュニケーションが取れているわけではないようです(49日経過後に取れなくなるなど)。 もし地獄に堕ちていれば取れないのではないでしょうか。

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5.1「死後は良い世界」関連
「良い臨死体験もある」
「幽霊に生まれている」
「人間に生まれ変わっている人もいる」