基本的に、宗教関係者には「宗教の世界は科学ではわからない、人間には理解できない」という信念があるようです。

その理屈や根拠は何かと聞くと、だいたい返って来る答えは「神の不思議な力は人間には理解できない」といった類の答えです。

・もっと理解できる可能性

しかし、これまでの科学が収めてきた成功を見ると、彼らが思っている以上に、世界はもっと人間に理解できるように思えます。昔は、電気や稲妻も神だと思われていました。

「私たちの『心』についての理解は、今は、稲妻を神の怒りと思っていた古代人の自然についての理解とさほど違わないレベルかもしれません」(理化学研究所「つながる脳科学」より)

京都大学名誉教授の益川敏英(2008年ノーベル物理学賞受賞)は、「神を信じている者は、自然現象に対して疑問を持ち、説明しようとすることを放棄して、すべてを神にゆだねてしまっている。それは人間の進歩を止めてしまう思考停止である」と言いましたが、理解しようとすることを諦め、神や仏を引っ張り出してくるのがあまりに早い人がいます。

物理学者のジョン・ポーキングホーン(ケンブリッジ大学名誉教授)は、「解決不可能性は、究極的にはありうることとしても、それは最後の方策であるべきで、最初から前提にするべきではありません」と言いました。

後述する「悟り」の根拠で説明している点を考慮すると、人生における重要な点は理解できるようになっており、それも優れた人だけが理解できるのではなく、いわゆる「普通の人」が理解できるように世界はなっているのではないでしょうか。

「(科学的単純性の原則について)これは問題に取り組むひとつの手段にすぎないが、科学が収めてきた驚くべき成功は、それがきわめて効果的なアプローチであることを示している」(ニック・レーン/ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドン教授)

 

アインシュタインは「なぜ世界が理解可能であるのか」を永遠の神秘であり、ひとつの奇跡だと言います。また、「この世界は理解可能だという信念が科学の背後にあるのは間違いない」と言っており、「科学理論は子供にもわかるくらい単純な形で記述できるはずだ」とも言っています。

このように、科学の根底には「信念」とか「信仰」といったものがあるという点も重要です。

自然を理解できるのは、人間に素粒子の心もあるからなのかもしれません。

「人間が自然の営みを分析し、その真理に近づけるということは、科学者の抱く心の深層に、素粒子の心が秘められているからであり、その素粒子の心の1つの現れが数式となって表現されているのではないだろうか」(望月清文/城西国際大学教授)

医化学者の水原舜爾(岡山大学名誉教授)は「自覚智(脳科学でいう自己意識)は『悟り』に欠かせない智恵であるばかりでなく、科学的研究においても重要な働きをします」と言っていますが、外を見る科学と内を見る「悟り」の両者において「自覚」ということが重要な働きをするのは偶然ではないのではないでしょうか。この点は後でも触れます。

 

・理解に限界がある可能性

一方、人間の理解に限界がある可能性もあります。

たとえば科学法則がなぜ成り立つのか、根源を辿っていくと、これ以上説明できなくなる境界があります。

「なぜエネルギー保存則があるかは実は証明できない。なぜ、電子や原子核が存在しているかもまだ証明されていない。しかしそれらの存在を認めた上で、最低限の公理を使って、自己矛盾が発生しないことを証明するのが物理学である」(山田廣成/物理学者/立命館大学名誉教授)

 

「現象を説明できればよいのであって、どうしてそのような法則になるのか、根源的な部分で『なぜ』を問わないのが科学というものの実体なのである」(川田薫)

そのため、神と呼んでも何と呼んでもいいですが、そういった概念を持ってこないと世界を説明し切れないでしょう。

国連のある調査では、過去300年間に大きな業績をあげた世界中の科学者300人のうち、8割ないし9割が神を信じていたといいます。

現代科学では宇宙の物質の96%は理解できていないとされていますが、すべては理解できない可能性があります。