9月13日 今度は長い説教、捕鯨おたくの独白か? | 「白鯨」日記

9月13日 今度は長い説教、捕鯨おたくの独白か?

 さて「白鯨」、ついに牧師の長い説教に至る。

 「罪と罰」で手紙が長かったように、「白鯨」、やたらと前戯が長い。これで最後までいかせてくれなかったら文庫本を叩き付けるところである。

 80ページから86ページまでは、主人公イシュメールが滞在するニューベドフォードの街に関する説明である。
 品のない国際都市といったところだろうか。食人種が歩き回り(と書いているのだ)、様々な島からやって来た鯨取りたちが姿を見せる。
 ニューベドフォードほど大邸宅が立ち並ぶ街はないとイシュメールは言う。
 なぜなら鯨でうるおっているからだ。

 ご存知の通り、米国は鯨油でランプの灯をともした。石油発見前夜である。
 そう、今や世界的反捕鯨国家である米国は、その昔、鯨油のために捕鯨しまくった殺鯨国家だったのである。
 
 で、「このほかならぬニュー・ベドフォードに『捕鯨者の教会堂』がある」とある。
 すごいぞ、こっから。マップル牧師は、「階段を使う代わりに、海中のボートから船に乗り込むときに使うような、垂直な横梯子」を使って説教壇に上がる。
 立ち上がったマップル牧師は、「右舷は通路へ、さあさあ、左舷の方へ寄って——左舷も通路へ出て右舷へ!甲板中央、甲板中央」と、まるで船の中のように振る舞うんである。
 落合のマンションで冷静に文庫本を読んでる丸顔日本人中年からすると、カルト教にしか見えんな。

 で、延々と説教が続く。第9章は文字通り「説教」。95ページから108ページまで説教三昧だ。
 いやんなる。まじで。
 
 非常にはしょって言うと「あなたたち捕鯨者は罪深い。
 が、それを後悔すること、懺悔することで、神はあなたを救い、最上の喜びを与える」と。ちとはしょり過ぎだが。 
 その喜びっつうのは、つまるところ巨大なる鯨を捕獲し、海から戻ることであると。

 なんつうか、捕鯨を巡る様々な環境、情報をじっくりと読者に知らしめる、捕鯨おたくの独白みたいにすら感じてきたぞ。

 結局、物語に進展はない。100ページ過ぎても皆目、どんな物語になるのか検討もつかん。 
 イシュメールとクィークェグが主要人物となることは分かるのだが。

 ということで新潮文庫版上巻109ページ。426ページにたどり着くまで、じっと忍耐の人である。