8月28日 まだ何も始まらない | 「白鯨」日記

8月28日 まだ何も始まらない

 古典と最近の小説の最も大きな違いは何か。
 まどろっこしさの有無ではないか。

 ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」なんかも前文がすごい。

 「主人公が偉大かわかんないし、読むに値するかって聞かれると結構言葉に窮するし、前置き抜きでいきなり書き出してもよかったかもしんないけど、はしょってしまっていいか迷っちゃうんだよね。いいよ、別に。ちょっと読んだだけで投げ出してもさ。まあいいや、前置きはこれくらいにして、本題に移ろう」

 なんて、最後の1行で済みそうな内容を、だらだらと4ページにわたって語る。本題に関係ある内容はほとんどない。

 高村薫さんの大傑作「レディ・ジョーカー」なんぞも、延々と旧綴りの手紙が続いて、イントロでつまづく読者も多かろうが、あれはちゃんと本題に関係している。
 とはいえ、少数だろう。
 最近の小説で冒頭が長くてなかなか本題に入らないのって。

 古典文学とは耐えることである。

 さてさて、ハーマン・メルヴィルが描いた米国文学史上の傑作と言われる「白鯨」もまた、くどい、しつこい、うざったい、の三拍子だ。

 冒頭9ページから35ページまで、延々と聖書やシェークスピアなど、多くの名著から引用した鯨に関する記述が続く。
 「歴史上、世界中の様々な書物に、鯨は描かれてるんだよ」
 という、著者メルヴィルの愛情と怨念と狂気である。まあ、旧約聖書よりはいいか。

 ということで、飛ばしても結構。後で読み直そう。
 つまり、まだ何も始まってません。主人公ってどんな人?

 新潮文庫版上巻426ページまで、まだまだ先は長い。