かつて、アパートに住んでいた時のことです。
アパートの周りには、いつも犬の糞がありました。犬にとっては、条件の良い芝生の絨毯であったからなのかも分かりません。
毎日、妻がそれを掃除していましたが、ある晩、実家から帰ってきた私は、知らずに犬の糞を踏んでいました。
朝食の時、いやな臭いが部屋に漂ってきました。
そこで、玄関に行ってみると、靴の裏に犬の糞がべっとりとくっついていました。その臭いが部屋中に漂っていたのでした。
それ以後、3歳になる子どもに注意をするようになりました。
「このアパートの周りには、犬の糞があちこちにあるから注意しなさい。汚いよ。踏んだらいかんよ」
それを毎日のように聞いていた子どもが、妻が犬の糞を掃除をしているのを見て、次のように言いました。
「お母さん、汚いよ」
もし、これを掃除をする人が、妻でなく清掃作業をする人であったらどうでしょう。
「あの人は、いつも汚い糞を始末している」
「汚い」というイメージを、いつしか子どもに与えてしまっていたのではないかと思いました。
それは、そのまま「バキュームカーのおじさんは汚い」という連想をさせることになると思いました。
つまりは、職業差別観に繋がるおそれのある感性的認識を与えていたかもしれないと、深く反省したことでした。
こういう小学3年生の子どもの作文があります。
「僕は今日、先生に連れられて保健所へ行きました。とちゅうで、前方を見ると、道のはたにバキュームカーが一台止まっているので、おとうちゃんが乗っているかも知れないと思いました。おとうちゃんが乗っていなければ、僕の知っているおっちゃんが乗っているかも知れないと思いました。ぼくは、あいさつをしなければいけないので、あいさつをすれば、ぼくのおとうちゃんがバキュームカーに乗っていることが、ばれるので、ぼくは道をさけて保健所へ行きました」
この子どもは、自分の父親の仕事を恥ずかしいと思っているのでね。
そこで、これを読んだ先生は、皆の前でこの作文を読むように勧めました。
「こんなの読めるくらいだったら道をさけたりしない」という子どもに、絶対作文を読ませようと、授業で労働問題の学習を徹底したそうです。
そうした学習を通して、その子どもはその作文を読むことになりました。
作文を読んだ後、「Aくんのおとうさんは、くさい仕事をしていると誰かが言ったとしても、そういう人がおかしいのであって、私たちの出したものを始末してくれているのだから、私たちは感謝しなければいけない」と、子どもたちがそんな気持ちになったことが、先生にはよく分かったと言います。
子どもたちの感性を磨くことは、とても大事なことです。
