私は昭和生まれで還暦
下町の商店街育ち

昭和の時代だったからね
母のお店の右隣はお蕎麦屋さん
その次隣はお豆腐屋さんで
左隣はお風呂屋さん
その次隣は酒屋さん
その先に駄菓子屋、花屋さん
と続き
お向かいは仕出し屋さん

他に
魚屋、お肉屋、惣菜屋さん
ケーキ屋、お米屋、自転車屋さん
乾物屋、パン屋さんと続く

あっ、その間に私の産まれた
産婦人科医院があったわ
産婦人科だけど
母と私のホームドクター
かかりつけ医だったね
女医さんでしたし
私が盲腸になった時も
この産婦人科で手術を
受けたのでした爆笑

今書いてて思ったのよね
あら!八百屋さんがなかったね
のちに酒屋さんがスーパーに
なるんだけどもね

なので物心ついた時から
おつかいに行かされるし
どのお店もすべて
母のお店の名を言い
「つけ」で買っていたのだ

そう私は商店街で誰もが知る
パーマ屋の娘
アイドル的な存在のS子ちゃん
だったのであある
なんちゃって爆笑
すみません、冗談です
調子にのりましたあせるあせる

自宅は
母のお店の裏にあったンだけど
私が小学校4年生の時に
歩いて5分くらいのところに
引越ししたのです
たった5分のところなのに
学区が変わって
私しゃ転校したのですよ
中学ではまた一緒になるって言うのに

あっ話がズレましたね💦

今は
酒屋さんがスーパーになったけど
また今はリカーショップとして
ぽつんと残っているだけで
母のお店も駐車場になってます

母は
特にお蕎麦屋さんと仲が良くて
お蕎麦屋さんは私以上に母のこと
良く理解してくれている方々です

遠い親戚より近くの他人と言いますが

お蕎麦屋さんは
まずお店をはじめたおばさん①
(母と同じ歳でご健在)
そのあとを継いだおばさん②
(86歳 母と一番仲良し)
パートで働いていたおばさん③
(73歳 一番お世話になった)
がいらっしゃいます

今があるのは
この②③のおばさま達のおかげ
母にとっては家族よりも
仲が良くて絆も深い間柄だったと
思います

長くなったので
おばさま達との話は続きます