私の娘は現在1歳10ヶ月。


8月に初めて「変形性股関節症」と診断され、10月に入院、手術が決まって、まず私は娘をどうしようか!と悩みました。


4歳、5歳になれば、母親が言う事を理解出来て我慢もそれなりに出来るのかもしれない。


でも、そこまで待てば私の足はどんどん変形しちゃうし、手術しても元通りになる保証は無い。


はたして今がベストなのか?




娘は生後6ヶ月から保育園に入っているので、少しは世間慣れ(?)しているものの、家にいるときはママにベッタリ。

トイレに行くときでもついて来るし、パパに少し預けて美容院やコンビニに行こうもんなら、ギャン泣きするし。


入院期間は最低でも2ヶ月。


そんなに離れて暮らしたことが無い私も寂しいけど、娘の寂しさは計り知れないものがありました。


でも、主治医の先生には「このまま行くと近いうちに車椅子生活になるだろう」と言う言葉で、決めました。



今がベストなのだろう。車いすでの子育てや生活はきっと大変だろうから、長い目で見れば2ヶ月なんてあっという間。きっと娘は大きくなったら覚えてないだろう、と。



1歳7ヶ月にもなると、言葉はカタコトでも大分ママが言う意味は分かってくる。


入院1ヶ月くらい前から「ママはあんよがイタイイタイからもうすぐ病院でネンネしちゃうの。みーちゃん、じぃじばぁばと一緒にネンネしてね。」

と言って見ることにしました。



はじめのうちは、娘も「ヤダ。」と言ってました。


毎日1日1回言うようにして(あんまり言うと脅迫みたいに聞こえたらイヤだからね)最後に「ママ、みーちゃんが大好きだよ」って言うことにしました。


入院が近づくに連れ、娘もだんだん分かってきたようで、「ママ、あし、イタイイタイ?」と聞くようになりました。


そんな時「ママはあんよイタイイタイだけど、みーちゃんともっと遊ぶために病院でネンネしてくるからね。だから待っててね」というようにしました。


ちょっとは理解してるのかな?って疑問でしたが、入院の前々日に朝見ると、ヒクヒク泣いている声がして、

ふと娘を見ると、夢の中で目から涙を出しながら寝ている娘がいました。



「みーちゃん、どうしたの?」って起こしてみました。


すると娘は「ママぁ~!!!」と泣きながらしがみついてきました。



しばらく、抱っこして落ち着いてから


「みーちゃん、なんで泣いてたの?」と聞いてみました。


娘は「ママがいないいないなっちゃうのぉー」と言いました。



その言葉を聞いた時、朝から私も泣いてしまいました。


「ママいないいないじゃないよ。大丈夫だよ」と頭をなでなでしながらそっと言いました。



とうとう入院日。


ママとバイバイできるのだろうか?はたしてこれからの生活を彼女はどんな気持ちで過ごすのだろうか。


精神的に寂しさが募って、問題行動が出てしまうのだろうか。


保育園の先生には理由を説明して、先生も心得ていて「どんな事があっても受け止めますから大丈夫ですよ」と言ってくださって、おまかせすることにしました。



入院して、パパと娘とバイバイする時、エレベーターで「バイバイ。ママあんよイタイイタイだから今日はここでネンネなんだ。みーちゃんはパパとネンネしてね」と言いました。


すると娘は「分かった。ママ、バイバイ!」とすんなり言ってエレベーターに入っていきました。







卒乳のときもそうだったけど、子供でも個人を尊重してちゃんと説明をすればしっかりと理解出来ます。


一番かわいそうなのは何も言わないで行ってしまうこと。


子供は何がなんだか分からなくて、寂しくていろんな行動に出てしまうんでしょう。


ちゃんと目を見て、ゆっくりと説明して、でも愛しているという言葉を最後に添えて・・・


そうすれば小さい子供なりに理解していくようです。




病気後の子育てはまだまだこれからです。


次回はママから離れた生活編について書きたいと思います。



入院生活も1ヶ月経ち、いよいよ松葉杖での加重歩行が始まりました。


まずは平行棒で2台の体重計に乗って、手術した右足に3分の1だけ加重をかけて歩行する練習です。


これが、結構難しい。腕の力で体を支えて、良い方の左足は宙に浮かせて、手術した右足だけしかも3分の1だけ加重をかけて・・・・もう腕プルプルでしたよ。



でもこれを何往復もして。今度は松葉杖を使って廊下を歩いてみよう!って事になり、いよいよ2足歩行・・・あ、違った。4足歩行の始まりです。



松葉杖を前に出して、左足、松葉、右足・・・とゆっくり歩いてみる。



(お!意外に私歩ける!!!)



リハの先生も「上手ですね。明日、もし怖くないようだったら松葉でリハ室来ていいですよー。」って言ってくれた。


20分のリハビリも終わって、病室に帰り、しばらくしたらトイレに行きたくなった。




(松葉で行ってみようかな)




車いすに包帯でくくられている松葉杖を出して立ってみた。


病室から目の前がトイレだからそんなに距離は無い。


コトン、コトン・・・



きしむ音を鳴らしながらゆっくり進む。



トイレのドアを開け、すんなりトイレが出来た。


そしたら、好奇心旺盛の私。


(ちょっと周りを散歩してみようかな?)なんて思いついた。




トイレから出て廊下を1歩、2歩と行くと


「ゆっきんさ~ん」と看護婦さんが!



何やら、転等する危険性があるから一人ではまだ歩いてはダメだということ。


歩くときは看護婦さんに声をかけて、つきそってもらって歩く練習が出来ること。


転等チェックリストをチェックして、自分の危険性を把握すること。


十分一人でも大丈夫だとお墨付きが出たら一人で松葉杖で歩けること。




色々怒られてしまいました。




しょんぼり。





で、もういいや!って思って大好きな水谷豊(あ、右京さんが好きなのね)の相棒~劇場版~のレンタルしているDVDを見ました。

どうしても痛いので父(医者)に言ってレントゲンを撮ってもらって診察を受ける事にした。


レントゲンを撮ってもらって数十分待合室にて待機。



「ゆっきんさ~ん」



看護婦さんに呼ばれた。




「ども!」と自分の父なので気軽に診察室に入る。




「レントゲンとったけど、確かに股関節の幅が狭くなりつつあるけど、キミはそぉ~悪くないよ」




私:「え!?だって痛いんだよ。悪くないの?」


父:「まだちょっとだけあるからねぇ~。痛み止めで様子みるしかねぇ~だろ」





結局、対症療法という痛み止めをもらうだけで終わった。



・・・・・・・なんか・・・・・不満。




だって、だって・・・・痛いのは変わらないんだよ。痛み止めで痛いのは抑えられるかもしれないけど、完全に治っているワケじゃないでしょ?





結局、それからは毎日は痛み止めを飲まなかったけど、仕事で重い荷物を持つ事が分かっている日や長時間歩く予定の日は痛み止めを飲んで抑えるという日々が続いた。




あれから半年後・・・・・・・





痛み止めが無いと生活できない日が突然やってきた。