信仰の自由
そう
人は何を信じるのも自由
なんだけどね
どの宗教の考え方も
我慢や犠牲が愛に繋がってるのが気になる
本当に大事なのは自分の幸せ
何よりも大切にするのは
自分
って言うと
傲慢に聞こえるんだろうな
でも
我慢してる人は余裕無いもの
無償の愛は持てないよ
無条件に人を愛することの意味を理解するのは
自分を愛せてからだと思う
心から自分を愛せて
その愛に涙して初めて知る
さっき触れた
キリスト教の「アペガーの愛」の記述に反応してしまった(^^;)
まあ
世の中に一番いらないものとされてるスピリチュアルの戯言なんだけどね
人の為になることに自分をささげるなら
我慢をすること犠牲になることこそが自分の幸せと感じる時にだけそれをすればいい
女性が無償の愛を感じやすいのは
子どもを宿し生み出す力が備わっているから
子を守り自分の身を挺する本能を装備する
言葉に出来ない愛の存在を理解しやすい
子どもたちが小さなときに
私にだけ見せてくれた可愛らしい笑顔があるから
今も愛おしい
例え邪魔に扱われても
それは消えない
何かに変えられるものでもない
愛を知ることは幸せなこと
