大塩平八郎の乱は、1日で平定されたのだが、
彼の死後にも、彼の門下、と名乗って、
あっちこっちで、怪事件が起こった。
大塩平八郎は、元与力(役人)と言うこともあって、
幕府側としては、この乱は、ショッキングな事件だった。
もう一度、当時の状況をおさらいすると、
大塩平八郎の乱のあった時代は、
天保の大飢饉があった時代で、
20万から30万人の餓死者、疫病により死者が、出た。
大阪とかの大都市では、
(ちなみに、大塩平八郎は、大阪の元役人)
豪商が、この天地未曾有の大飢饉にもかかわらず、
米を買い占めて、暴利を上げ、
米の価格は、暴騰(ぼうとう)した。
この時、大塩平八郎は、
この状況を黙過して、見過ごすことが、
できなかったのだろうと、思う。
当時、反乱の首謀者は、
死体を塩漬けにして、磔(はりつけ)にして晒(さら)す、
と言う時代。
大塩平八郎も乱の後、すぐには捕(つかま)らず、
あるところに潜伏していたが、
潜伏先の女中が、いつも二人分の膳が多く用意
されていることに、不信を抱き、
役人に通報。
潜伏先を役人に取り巻かれた、
大塩平八郎は、持っていた火薬で火を放ち、
短刀で自決した。
僕は、たった1日の乱、とは、思えない。
あのとき、
きっと、
大塩平八郎の衷心(ちゅうしん)の誠に、
天地が、、、動いたのだ、、、
鬼武彦 拝