ポーランドに、初めて来て、
ワルシャワで、
仕事を探すのに、2件電話して、
2軒目が、レストラン東京で、
社長さんは、日本人、
すぐに会って、話そうと言うことで会いに行き、
日本で1年寿司の修行をすれば、
雇ってくれる、、、
けれど、それだって最初、父にポーランドから打診して、
ちょっと、そう言う修行のできるところないか、
探してくれないか、頼んで、
でも、父の返事は、
当時29歳の僕に、
寿司の修行をさせてくれるところは、
ないと、、、
それが、偶然、
父の教え子がテレビで、寿司誉(ほま)れ塾という、
寿司を教えてくれるところがあると、
(札幌ですが、僕がその塾を出て間も無くに、
なくなりました、、、)
教えてくれて、
やっと、道が開いた、、、
そこの寿司誉れ塾の卒塾証書が、
後の労働ビザの最重要書類となる、、、
一体、誰がそんなこと、わかるだろ?
その後のポーランドの道のりも、
確かなことなど、何もなかった、、、
失業も、2回した、、、
転職も、4回、、、
ここには、長くて、全部書かないけど、
全部書いたら、人は、きっと、
「今まで、よくやって来ましたね」と言うと、思う。
確かな道など、何も、なかった。
けれど、
ここまで、来た。
それには、両親、女房、知り合い、職場のオーナー、
多くの人の、助けが、あった。
確かなものなど、
何も、、、なかった、、、
そう言う、ポーランドの26年間だった、、、
鬼武彦 拝