2008年から2012年の話。。。
日本館というレストランには、大きな
回転寿司のようなローリングバーがあって、
支店の二つの弁当屋にも、早朝の仕出しを大量にしていた。
で、社長が、日本の業者から、細巻きと裏巻きを作る機械を
買った。
で、その卸(おろ)した業者の人が、
「これこれの、これだけの時間で、これだけの巻物が作れます」
と、
嘘八百を並べた。
それを信じた社長は、僕に、
「朝、7時に出勤して、朝の仕出しの巻物を全部作れ」
と
指示した。
けれど、
そんなことは、もちろん、不可能なので、
僕は、
夜中の3時過ぎには出勤し(店の鍵は、持っていた)
午前7時までの仕出しの労働は、
無賃金、、、
で、
夕方、5時までの勤務だった、、、
給料は、
朝7時から夕方5時までの10時間の勤務の計算で
支払われ、
午前3時から午前7時までの労働の賃金は、
ゼロ、、、だった、、、
それを、
4年間続けた、、、
4時間分の無賃金の時給を4年間に換算して
計算すると、
かなりの額になる。。。
あれから、10年あまり経った、、、
当時、社長は50代で、重い糖尿病を患っていたから、
もう、生きてないかも、知れない、、、
僕は、その日本館をリストラされる2012年まで、
10年ぐらい、
あの社長の背中や腰や足をマッサージしてやった、、、
(以前、他の企業のレストランで働いてる時も、
マッサージは、続けていた)
大分、良くなった、、、と、社長も喜んでいた、、、
僕は、あの社長に、
ワルシャワで働く、きっかけを与えてもらった、
恩があるのだけれど、
あのブラックの、
4年間の毎日4時間の無賃金労働で、
その恩は、
返したと思っている、、、
そのほか、あの社長は、よく、うちの両親に、
小樽の安い昆布(出汁に使う)を送るように、
僕を通して、命令した。
昆布を送るには、
船便で送りやすいように、
二つの箱に仕分けしないと、いけない、、、
(卸元は、大きな箱で売る)
けれど、その手数料が、両親に支払われることはなく、
ありがとうの、感謝の言葉も、
社長から両親に伝えられることは、一度も、
なかった、、、
今、10年以上経って、
2012年に、日本館をリストラされて、
ラッキーだったと思う、、、
それに、
あの社長は、あのコロナ不況で、
二つあったレストランと二つの弁当屋を、
すべて、潰(つぶ)してしまった、、、
従業員をいたぶることが、経営努力と思っている向きがあり、
宣伝とか、仕出しに力を入れたりとか、
そう言う、実務での経営努力は、
まるで、ない人だった、、、
鬼武彦 拝