日が落ちてしまう前に着くことが出来たのは幸運だった。この辺りは日中と夜間の温度差が激しく、この時期だと幾分ましとはいえ夜は野宿出来る温度ではない。翌朝には氷付けの肉塊と化してしまうことだろう。
施設へと辿り着き、気がついた。先刻立ち止まった場所から見た時に違和感を感じたのは、食堂がやけに広くなったような気がしたからであったが、近づいてみるとその理由がわかった。かつての事件の衝撃で屋根が綺麗さっぱりなくなり、壁も所々はがれ落ちてしまっている。さっさと素通りするつもりだったのだが、変わり果ててしまった談笑の聖域を目の当たりにすると心が痛んだ。仲間達と共に夢を語り合い、他愛のない会話に花を咲かせ、そして年甲斐もなく若い研究者に恋心も抱いた。彼女もかつての事故で消滅してしまったのだろうか。どこか普通の女性、いや、普通の人間とは異質な雰囲気を持っていたが。
いつだったか外部から各界の博士が来賓した際に我々の研究内容と未来のヴィジョンをプレゼンしたことがあった。そのプレゼンを任されたのが、当時配属されて3年という大抜擢を勝ち取った彼女だった。何故彼女が選ばれたのかと疑問を抱いた者も多く、私もその一人であった。が、そんな疑問もたちまち消え失せていまうこととなった。私が初めて彼女に注目したのもちょうどこの時だったと思う。
照明を落とした巨大な会議室、壇上でプロジェクタをリモコン操作しつつスクリーンに差し棒を構え、彼女は実に雄弁に議論を進行し、的確に我々の理想が単なる机上の空論という域を超え、実現可能な目標であることを証明していく。その場に居た殆どの学者達が反論しないことに驚いたが、それは彼女の放つ言葉のどれもが物怖じせず、力強く、確信めいた説得力を帯びていたからに他ならないことは明らかだった。
配属されて僅か3年、そもそもこの研究に我々が取り組み始めたのでさえたった7年前だった。学会でもまだまだ新米扱いをされる我々研究チームのプレゼン、集まった博士や学者達は決して肯定の意を持って訪れたわけではなかった。彼らにとって我々の研究内容やその成果などはどうでも良いのだ。目的はこの研究を打ち切らせること、それのみである。
我々学者が研究をするということは、おのずとそこに費用が付きまとうことになるがそんなことは今更説明するまでもない。我々が所属する世界遺伝子療法連盟国際学会という組織に属する研究所は、規模の大小含め世界中に約400。それらに平等な研究費が支給される訳だが、研究員を多数抱えるチームともなると人件費にも満たないことは少なくない。ではその研究費を削る為に学者がプレゼンを野次り妨害をし合うのかと言えばそうではない。そんなチームが次に資金調達の手段として選択するのが、関連企業によるスポンサー事業である。本来学会で多大な評価を得ることが出来たとなれば、次はその研究成果を世に還元するというのが我々の本分であるが、商い事となれば土俵が異なる訳で、その段階に入ってから活躍するのが各々の関連企業なのである。そして企業側の視点で見ると、優れた商品価値を秘めた話題には早い段階で積極的に関わっていくことが必要となる。彼らが我々に携わることと言えば勿論、資金の贈与と商品化の優先権を約束すること。そうした研究チームと企業との利害関係が一致したシステムがスポンサー事業なのだ。
そう、このシステム、これこそが我々のチームを妨害工作の手に晒す原因となっていた。駆け出しとも言える我々にスポンサーとして名乗り出てきた企業名は
「ユーテ・エトーク」