私は大抵、小説を選ぶ際には、村上春樹のようなマジックリアリズムの物語よりも、心理描写に基づく作品を好む方向けがある。(マジックリアリズムは主に現実的な語り方にファンタジーのような現象が含まれる。例えば、村上作「品川猿」という短編小説に言葉が話せる猿が登場するようなもの。)年を重ねるにつれて、それは単なる個人的な好みになった。しかし、筆者の才能や目的によってマジックリアリズムの物語は記憶に焼きついた場合もある。

 

数年前に本谷有希子の「犬たち」という短編小説の英訳(”The Dogs”)を読んだ。すごく印象的だったので、最近、本来の日本語の「犬たち」を含む「異類婚姻譚」という短編小説集を読むことにした。題名「異類婚姻譚」は、2015芥川賞受賞作品だ。この本はマジックリアリズムの魅力的な点も欠点も示したが、それにしても読む甲斐が絶対にあった。

 

短編小説集は4つの物語があり、すべて、現在的な家庭内の生活から生じる疎遠感についての物語を怪談のような不気味な内容を混ぜ合わせて、とても不思議な事件を描写する。

 

例えば、「異類婚姻譚」の主人公は、子供のない専業主婦だ。安楽な結婚生活を楽しんでいるが、ある日、自分の顔と怠惰でわがままな旦那の顔が同じようになってきてしまうことに気がつく。そのコンセプトに基づいて、本谷作家がだんだん面白くて怖くなる物語を語る。男尊女卑を批評するフェミニストの解釈もあるが、その意味だけでなく、人物が自堕落な生活をしてしまうと、個性や魂を悪魔に奪われることについての昔からある悲劇的な民話のような素晴らしい物語だと思った。

 

「犬たち」も著しい。主人公は自称の人間嫌いの女性だ。だから、あまり人気(ひとけ)のない田舎の山小屋で一人暮しができる仕事を引き受ける。ある日、20匹もの真っ白犬たちが現れて、主人公と同居することになる。不思議な犬たちは何も食べないようであり、たまに山の奥深くに逃げ出してしまう。主人公が食糧を買うために最寄りの村に行き、近頃住民が消えている奇妙な現象について知られた瞬間から、物語は神秘的から薄気味悪い展開になる。解釈としては、孤独な生活をしながら、徐々に憂鬱に陥って無感覚に飲み込まれることに関する鮮烈なメタファーだ。

 

一方で、残りの2篇、「トモコのバウムクーヘン」と「藁の夫」でも、作家が前述の2編と同じマジックリアリズムの技法を使用したため、効果が薄れたと感じた。「藁の夫」は特に、「異類婚姻譚」と「犬たち」と違って、寓意が意味深いだという感想を持つことができなくて、変な内容を示す以外の目的を見つけられなくなってしまった。既婚女性の文字通りの藁から作られた夫は、痴話喧嘩の中で、体から小さな楽器が色々と落ちてしまう状態になる。その部分に達した時にもはや著者が何を伝えようとしているのかを解釈するモチベーションが全くなかった。

 

全体的には、「異類婚姻譚」の短編小説集は、「マジックリアリズムを使用する物語は特定の魅了を持っているが、時々楽しむ方がいいという個人的な好みを再確認させられる作品だった。