舞台の上はうさん臭い緑のフード付きパーカーを着たアオムシが、アリスに話しかけている場面に変わっていた。

 

「だれだ? おまえは?」 とアオムシに聞かれたアリスは、誰だか自分でもわからないと答え、さらに、この世界に来て体が変わってばかりいたから、どれが本物の自分か分からないとアオムシに説明した。

 

「ほう! おまえは、本物の自分がいるとでも思っているのか?」

アオムシは、あきれた声で言った。

 

「だって、本物の自分がいるから、偽物の自分が生まれるわけでしょう? もともとの自分という型というのがあって、それから外れていった時、本物の自分ではない偽物の自分と感じる、というのが普通じゃなくて?」

アリスは偉そうな態度のアオムシにムカツいて、トゲトゲしく言い返した。

 

「やれやれ、おまえは何も解っとらん。本物の自分という型を作っている実体というのはいるかもしれんけど、本物の自分というものはいないと言っているのだ。」

 

「・・・そういうことなら解るわ。よいイメージの自分を本物と思いたい自分がいて、それ以外の自分を偽物扱いする自分がいるということよね?」

 

「ちがうちがう、そうじゃない。自分を自分としているものが、所詮、他人の目を通して作られているのだから、自分だと思っている自分は、他人が作り上げている自分だから、本物の自分も自分そのものもいないと言っているんだ。わからんやつだなぁ。」

 

Van Gogh - Wäldchen
フィンセント・ファン・ゴッホ 作成: 1890年6月30日(Wikipediaより)

 

 

 トキムネのお父さんは、この演劇会にきたのはトキムネの活躍を見にきたのであって、内容は何でもいいとさっき思い直したばかりだというのに、このアオムシとアリスの会話に頭が混乱してきた。

 

・・・もしかして、演じている子どもたちは、もっと簡単なセリフを言っていて、どこかおれの頭の中で変な風に変換されているのではないか?

 

このアリスの話のひとつひとの場面は、世相をおちょくるようなものばかりで、ここでのアオムシの話は、自分の変化ということに対して、まだ変化する前のアオムシに変化の意味のなさを語らせている滑稽なものなんだろうけど、自我の話にまで突っ込んでいたっけか?

 

「つまり、自分と思っている自分は、世の中が作り上げた自分で、誰とも同じじゃないと思っている自分は、誰かとピッタリ同じ自分であって、その時点でユニークな自分というものは消えてしまっていると言いたいのね?」

 

「いや、そうじゃないんだなぁ。何で分からんのかなぁ。」

 

「もお。あなたは、そんなふうにひとの言ったことの反対ばかり言って! わかったわ。そうすることで、自分というものを形作ろうとしているんでしょう? そうよ。そこに、あなたの自分が確実にいるわ。反対することで作られているあなたは、反対できないほど正しいことを言われてしまったら、あなたは消えていくよりほかなくなるのね! なんてかわいそうなんでしょう!」

 

アオムシは顔色をひとつも変えず、ひとこと、「キノコを食え。そうすれば、本当の自分に巡り会えるだろう。」 と言って、森の奥深くに消えていった。

 

アリスは、アオムシがのっていたキノコの両端をちぎり、少しずつかじった。