相性塾へ行かなくてよくなって、トキムネの生活は以前の平穏な毎日に戻りトキムネは、もうトイレに籠城することはなくなったし、頻繁にトイレへ行くこともなくなった。

 

子どもは何らかの、"圧" を、ある一定以上に感じると、いつもにはない行動が出ることを、トキムネのお母さんは今回多く学んだ。

 

・・・わたしが職場を長期で休めたことで、トキムネのちょっとした変化を追って見ることができた。

マチヤマさんやシオタ校長先生も含め、いろいろと人間観察の勉強になって、わたしにとってよい時間を与えてもらったと感謝している・・・。

 

・・・一般的に、ヒトは、誰かから受ける、"圧" の影響で何らかの変化を起こす。

 

誰かからの、"圧" というものにも様々なものがある。

 

誰かの誰かに対して期待するような、"圧" の方向というものは、大きな推進力を与えることもあるけど、大きな精神的負担となって深層の奥底に闇を抱えてしまうかもしれない、子どもにとってデリケートなものなんだろう。

 

・・・"体にいいから食べなさい" と親に言われ、食べられない訳ではないけど食べなさいという方向付けが嫌で食べなかったという子がいたとする。

 

その子は、親からの方向付けを跳ね返したことになり、その食べ物がおいしいとか、栄養あるとかの本質なんかどうでもよくて、"親の方向付けから自分を守った" みたいな部分に高い自己評価を持ってしまうだろう。

 

さらに、"本当に食べられないの?" と親が追い込んできた場合、その子はきっとムキになって食べられないことを言い張るに違いない。

 

June/July
フィンセント・ファン・ゴッホ 作成: 1887年6月30日(Wikipediaより)

 

 

 個人の虚言が、集団の中に浸透してそれが本物になっていく現象は、宇治拾遺物語の、『蔵人得業、猿沢の池の竜の事』 では現れなかった竜が、芥川龍之介の 『竜』 の中でついに現れたように、わたしたちは、あらゆる現象がわたしたちにとって本物になるかもしれない精神を持っているということを意味している。

 

ムキになって食べられないことを言い張った子は、本当に体が受け付けないレベルにまで変わり、そもそも、方向付けがイヤで嫌いになったこと自体を強制的に忘却して、その事実はその子の闇になってずっと深層に沈んでいく。

 

これはすべて、集団の中で生きているからこその現象で、生命体の思考が集団の中で個性や自由といった形で現れるためのものなんだろうけど、誰かの方向付けがキツいと子どもが感じて、それを嫌がっているのを理解されなかった場合、本当のこころを隠すようになってそんなことが起こるのだろう。

 

集団中の現象の、こころの闇の奥底に陥ったら、本人ですら自分の本当のこころが見えなくなってしまうのでかなり苦しむことになるかもしれない。

 

その闇から抜け出すには、ルールや規則といったものも含め、根本的に方向付けを嫌う自分を自覚し、本質的なものと、自分が作り出している幻想を完全に分離して、自分で世界を再構築するより道はないだろう。

 

闇に苦しんでいる人のほんとうのこころを見つけ出す手助けは、他の人でもできるかもしれない。

 

しかし、自分で作り出している幻想を断ち切る作業は、本人がどこか無意識でそれを望んでしまっている限り永遠に断ち切れないものなので本人でしかできない。

 

・・・トキちゃんの、"圧" から逃れるための普段にはない行動が消えて本当によかったと思う・・・。

 

相性塾での出来事をいろいろ思い出しながらトキムネのお母さんは、塾のテキストや配布物を、しばらく保管しておくために整理した。