トキムネが寝た後、トキムネのお父さんとお母さんで手分けして、和顔小学校へ提出する書類と相性塾への報告書をできる範囲で書き上げた。
終わったのが深夜1時を過ぎで、外の雨と風の音がすでに静かになっていた。
やれやれ、とトキムネのお父さんは、冷蔵庫からもう一本缶ビールを取り出し飲み始めた。
トキムネのお母さんは、手帳にこれからやらなくてはならないことの予定を細かく書き込んでいた。
「和顔小学校の入試活動が終わってみれば、何というか、合格の確率を上げる努力みたいな・・・もちろん、トキムネがいろいろできるようにならなければ、お話にならなかったけど、オレたちがやってきたものの努力は、必要だったのだろうか、いらんものだったのだろうか、と思うんだよね。」
とお父さんは言った。
「わたしたちが学校説明会や入試説明会にもれなく全部出席したことを言っているの? 今さら何を言ってるの?」
とお母さんは言った。
「・・・そうだよな。オレたちはそうすることで、少しは不安な気持ちを緩和することができた。
もしかして、和顔小学校が定員割れ起こしていて、相性塾に行かなくてもトキムネは普通に合格もらっていたかもしれなかったよね?
・・・未来に対する不安がオレたちにあったから、結局、その道しか選択肢がなかったということなんだよね。うん。」
「入学希望する生徒たちが少なくなっていく中での入試がどんな形になるのかわからないけど、この先の受験も、自分たちが今まで見てきたものとは違うものになるわね。・・・小学校を受験するということの全体の流れを、わたしは初めて見たし。」
Van Gogh - Der Sämann5
フィンセント・ファン・ゴッホ 作成: 1882-12(Wikipediaより)
「オレもそうさ。小学校の受験の流れは、こんな風なんだと、ある意味勉強になったよ。
ただ、同じ1年生になるにあたり、何か他の子より苦労したという感覚がトキムネの中にずっと残り続けることでトキムネが、よい方向に向かうのか、悪い方向に向かうのか、今の時点では分からないけどね・・・。
それは、トキムネの中で何らかのタテの意識を構成するものになるのだろうけど、オレとしては、よい方向に向かう推進力になって欲しいと思うんだよね・・・。」
とトキムネのお父さんはビールを全部飲み干し、空き缶をゴミ箱に捨ててダイニングから出て行った。
ひとりダイニングに残されたトキムネのお母さんは、今お父さんが言ったことに対してぼんやり考えはじめた。
・・・この現時点で世界で認められる、生きていてもよい理由・消費してもよい理由を求めて進んでいくのだけど、結局、武力なのか、知力なのか、それらをまとめ上げる形の財力なのか、さらにそれを乗り越えた境地を求めるのか、はっきりとしない中で各々の人生の戦略は決められる。
そうするには、まず、自分の人生に対する大戦略 ≒ 大志 の重要性に本人が気づかなければ始まらない。
早い年齢からその重要性に気づいていれば、今、何をやるべきかを自覚して生きることができるだろうね。
だけど、人間集団全体の大戦略がはっきりしない中での個人の大志は、現時点で確実に認められる権利・権威的なものとなり、結局、他の生き物と同じ、生きる優先順位争いに向かってしまうだろうね・・・。
・・・大きな道の示すような人間集団全体の大戦略とはどんなものなんだろうか・・・?
早く寝ないと明日起きられなくなると思ったトキムネのお母さんは、書類をきちんと片付けて寝る準備に向かった。