マチヤマさんの模擬面接はさらに細かい質問が続き、トキムネのお父さんとお母さんは準備不足を身にしみて感じた。

 

おそらく、マチヤマさんの目的は、その準備不足だという印象を面接を受ける親たちに与えて気を引き締める事なんだろう。

 

あれだけ面接に対して自信を持っていたトキムネのお父さんも、今回の模擬面接でマチヤマさんにやられてかなり落ち込んでいた。

 

「トキは、親の面接と別に面接があるんだよね? 面接だから、ありのままの自分を出せばいいという訳じゃなくて、ちゃんと準備しておかないと、そのありのままの自分も出せないね。」

とトキムネのお父さんは、トキムネが教室から出てくるのを待ちながらトキムネのお母さんに言った。

 

「あらかじめ答弁を用意していても慣れないことをやるから、何かしらやってしまうね。」

とトキムネのお母さんは言った。

 

トキムネが教室から出てきて、3人は、受付に戻ったマチヤマさんに挨拶したあと、いつものファミレスに入り、塾のことをしばらく忘れて食事をした。

そして、3人は間違い探しに没頭し、全部見つけられないまま家に帰った。

 

・・・いろいろな人がいて、いろいろな思惑があって、その思惑で行動する上で人との縁があって、その縁によっていろいろな感情が生まれて、また次の行動がはじまる。

 

その積み重ねで世界は動き続けている・・・。

 

Van Gogh - Baumstämme im Sonnenlicht
フィンセント・ファン・ゴッホ  作成: 1886年12月31日(Wikipediaより)

 

 

 面接にもいろいろあるけど、ある特定の集団の枠に入るにあたって、相応しいかどうかを見極めているには変わりない。

 

その選考の基準がどんなものか分からないから、いくらその集団に相応しいと思われるキャラを自分で設定して面接を受けても、それが正解だったかは結果が出るまで分からない。

 

鋭い面接官だと、そのキャラ設定していることを見抜いた上で、それを嫌って落とすかもしれない。

ならば、一般的な善人アピールで望む戦略のほうが無難なんだろうか?

 

自分はいいヤツと思い込み、わたくしはいいヤツなんですと面接でアピールしても、何らかの基準から外れていれば、"自称いいヤツ" 扱いされるだけだろう。

 

結局、その人の言葉や態度などから滲み出る人間性が、面接官の印象にどう影響を与えるのかということしかない・・・。

 

面接する方も、面接を受ける人は、当然ながら自分にとっていいことしか言わないということを承知の上で聞いていて、そこから滲み出る誠意を嗅ぎ取っているにすぎないのだろう・・・。

 

ともかく、同じ集団の枠という中に入るにあたっての面接を受ける人の熱意は、強く持っていなければ軽くあしらわれるに決まっている。

 

今日のマチヤマさんの模擬面接の前半は、ほとんどそれを問うものばかりだった・・・。

 

ボーッと考えていたトキムネのお父さんは慌てて電車を降り、トキムネたちの後を追って改札口を抜けた。