ダイニングでトキムネのお父さんとお母さんは、入学案内のパンフレットを見ながら話をしていた。
「"建学の精神" と、"時代の要求に合わせること" の間に矛盾が生じた場合、ぐにゃぁっと、仕方ないことだけど時代の要求側にシフトするんだろうね。
あるかどうか分からないけど、もし究極の正論があったとして、それを誰かが言っても相手にされなければ、それはなかったことになってしまうのと同じで、崇高な理念を掲げても学校の運営をうまくこなさなければ、理念ともども消え去ってしまうことになるんだよね。
夢を語っていても予算はどうするのみたいな話も同じで、要は、人が生きていてもよい理由、人の集団が存在し続けてもよい理由の中に、理念的な部分と現実的な部分があって、それをバランスよく維持しながら他の人たちに認めてもらわなくてはいけない。
さらにもっと言ってしまえば、"人間の合理" と、"生き物の合理" の間のバランスをうまく取っていかなくては、個人も集団も人間として存続するのが難しくなってしまうってことなんだ。
そういったことで、なぜこの学校を創ったのかという部分に注目してみるのも重要でしょう・・・。」
そしてしばらく、トキムネのお父さんは各学校の歴史の部分を丹念に読み込んだ。
Van Gogh - Paul Gauguins Stuhl (Der leere Stuhl)
フィンセント・ファン・ゴッホ 作成: 1888年11月30日(Wikipediaより)
「何かの事業に成功した人たちがこれからは教育だと思って学校を作ったパターン、女子の教育こそが社会を豊かにするみたいなパターン、カトリックやプロテスタント、アングリカンチャーチ、仏教系など、さまざまな宗教を背景につくられたパターンと、いろいろあって面白いね。
こだわっている人以外、こういったことは入学する際にあまり考えないことかも知れないけど、入学して道徳なんかの授業の際に、この特色が出てきて、ああそうだったと思ったりするんだよね。
そんな授業を人間修練の場として自ら望むような珍しい生徒さん以外は、???の時間になってしまいがちなんだ。
・・・学校の特色あふれるそんな出来事を、いつか共に学んだねと思い返す日が来るのだろうか?
その学校を卒業生した人たちの共通の出来事として記憶に刻まれていれば、さらにその本質的な部分が伝わっていれば、学校の理念としていい感じだよね。」
トキムネのお父さんは学校の理念について、一気に思ったことを吐き出したようだった。
「何を偉そうに言っているんだか。今さらながらお受験を始めようとしているわたしたちは、入れそうな学校に入れてもらう立場なのよ。
選択肢は、はっきり言って、距離的、予算的に通えるかどうかしかないでしょう。
そしてさらに、そこに入れてもらえるかどうか・・・。」
「おっしゃる通りです・・・。」
饒舌だったお父さんは静かになって、しばらくパンフレットを眺めていた。