トキちゃんが、更衣室から出てプールの入り口に近づくと、
「トキムネくん、こんにちは。」
とお兄さん先生は、またあいさつを迫ってきた。
トキちゃんは、すぐにお母さんの方を向いた。
おばあちゃんは、うんうん大丈夫という感じでニコニコしていて、その横でお母さんは心配そうにトキちゃんを見ていた。
「いい? トキムネくん。ここは元気な子が集まって楽しくスポーツをするところだよ。まずは、あいさつが基本! さあ、元気よく声を出していくよ。」
お兄さん先生は、あいさつしないと許さんぞと言わんばかりの顔でトキちゃんに迫った。
「・・・こんにちは。」
トキちゃんは、先生に言って下を向いた。
「よしっ。」
お兄さん先生はひとこと言って、他の子どもたちが準備運動をしているほうへ行くようにと、トキちゃんの背中をポンとたたいた。
みんなの列に入ってすぐ、トキちゃんはお母さんの方をちらりと見た。
その、トキちゃんの不安そうな姿がお母さんの目に焼き付いた。
Van Gogh - Baum, vom Wind gepeitscht
フィンセント・ファン・ゴッホ 作成: 1883年8月1日 (Wikipediaより)
「トキちゃん、大丈夫かな・・・。体育会系のグイグイ押してくるあの感じって、合わないのかもしれない。いつものトキちゃんじゃなかった。」
見学室に上がってきたお母さんは、お義母さんにそう言った。
「それも経験だね。男の子だから、こういうのに早くから慣れておいた方がいいかもしれないよ。何回か来るうちに慣れるから、大丈夫、大丈夫。」
お義母さんは、大きなガラス窓からプールの方を見た。
元気なさげな子が一人、元気いっぱいの子どもたちの列のはじっこで準備運動をしていた。泣きこそはしないけど、不安そうなオーラをまとって、力の入っていない屈伸をしていた。
準備運動が終わるころにスタッフ入り口から、ベテラン風のお姉さん先生が入ってきた。
お姉さん先生は、お兄さん先生にキレのいいあいさつをして、トキちゃんの方にやって来た。
お姉さん先生はトキちゃんに声をかけたあと、他のまだ水に慣れていない子どもたちを集めて、大きいカラフルなブロックを沈めて浅くなっている場所の前に整列させた。
「そうよね。いきなりマッチョ先生の剛速球教室だと、みんなやめちゃうよね。
よかった。」
見学室の窓からお姉さん先生が担当に変わったのを見ていたお母さんは、少しほっとした。
お姉さん先生は子どもたちをプールのはじっこに座らせ、足をバタバタさせて水をバシャバシャ蹴らせた。
トキちゃんは思いっきり足をバタバタさせた。
となりの子はもっと強くバシャバシャ水を蹴り、水が高く飛び散って自分の顔にビシャッっとかかった。
それを見て、トキちゃんは、ハハハハハハと笑った。
その子も、エヘヘヘヘヘと笑った。
二人はニコニコしながら、さらに勢いよく水をバシャバシャ蹴り始めた。
見学室からその様子を見ていたお母さんのこころは、トキちゃんの楽しそうに変わった顔を見て一気に晴れてきた。