雪山の廃墟となった孤児院の屋上に、リグルは立っていた。
「うー、さみぃ。サリーのやつ、こんなとこに送り込みやがって…」
リグルは寒さを誤魔化そうと、両腕をさすった。
「まあいい。さっさとソルレインとかいうやつを探しますかねぇ」
リグルは屋上から新雪が降り積もった広場に跳び降り、足跡を残しながら孤児院を後にした。
西日が眩しい、シルキスエルダ学園の校庭に続く、数段の石段の真ん中付近に、コウガは腰を下ろして黄昏れていた。
「(リンちゃんが抱えるには少し大きすぎるじゃないか…。確かにリンちゃんのおかげで、あれ以上の被害は出すことは無くなった…。だけど同時に、ちっちゃい頃のサキちゃんのような子に対しては、死刑宣告がされたのと同じ…。どっちに転んでたとしても、ある一定数の犠牲は免れない…)」
コウガは大きくため息をついた。
「どうすればいいんだろう…」
その時、コウガの背後に1人分の足音が近づいてきた。
「リンちゃん?」
コウガはその足音をリンだと思い、振り返った。しかし、それはリンの物ではなく、アツミの物だった。
「あなたは…」
「また会いましたね。隣、よろしいですか?」
「ええ。どうぞ」
アツミはコウガの隣に腰を下ろした。
「なぜこんなところに?…と言っても、俺たちをつけてきたんでしょう?」
「半分正解で半分不正解です」
アツミはどこか寂しそうに校庭の時計台を眺めながら続けた。
「このシルキスエルダ学園は…私の母校なんです。…あんまりいい思い出はありませんが」
「そうなんですか…」
「はい」
アツミは視線を落とし、自分の足元を眺めた。
「こんな砂漠のど真ん中にあるせいか、どんなに位の高い貴族の跡継ぎでも、堕落する人はどん底まで落ちていきました。今はどうか分かりませんが、少なくとも私が在学していた期間は、イジメは日常茶飯事…ある女の子にいたっては性的暴行なども…」
アツミの口から淡々と発せられる言葉に、コウガはあまりの衝撃に返す言葉が見つからなかった。
「信じられない…そう言いたいんでしょう?」
「…信じるも何も、それが真実なら、世間はもっと大騒ぎするはず…」
「考えてみてください。さっきも言ったようにここは良くも悪くも砂漠のど真ん中。人の往来など皆無に等しい。となると、どうなると思いますか?」
「意図せずとも情報が外部に漏れ出す危険は少ない…」
コウガは校庭を横断していく数名の学生を眺めていた。
「…っていうか、何故いきなりこの話を?」
コウガはアツミの方に顔を向けた。
「えっ?」
意図してない言葉が飛んできたので、アツミは突拍子もない声を上げた。
「あっ、いや、その、とりあえず注意だけはしておこうかなと思ったまでです」
「あー、ありがとうございます」
コウガは軽くすわったままお辞儀をした。
その時、カナエとソウマがコウガを呼ぶ声が遠くからしてきた。
「見つかったらまずいですね。じゃあ、私はこれで」
アツミは立ち上がり、2つの校舎がある方に歩いていった。
「何だったんだろう…」
コウガも立ち上がって、服についた砂を払った。
直後、カナエとソウマがコウガの元にたどり着いた。
「探したわよ。何してたの?」
「ちょっとね。ここの卒業生の人と話してた」
カナエの質問に、コウガは階段を降りながら答えた。
「そうか。リンはどこだ?」
「リンちゃんならあそこにいるよ」
ソウマの質問に、コウガは2つの校舎を結ぶ一番上の渡り廊下を指した。2人にもリンの姿が確認できた。
「あいつはあんなところで何してんだ?」
「理由は後で話すよ。今は1人にしておいてあげて?」
カナエとソウマはコウガの言葉の理由がわからず、視線を合わせて首をかしげるだけであった。
2人に連れられ、コウガは宿泊棟に案内された。
コウガは6人を大部屋の一室に集め、サキのことや、アツミから聞いたこと(アツミから聞いたとは言わずに)を伝えた。
「なるほどな…」
ソウマは腕を組んで、壁に寄りかかった。
「もしもの事態が起きた場合、俺たちは大丈夫かもしれないが、カナエやカグラ、リンが危険だな」
カグラを膝に抱えているマツリがソウマに反論するような形で意見を述べた。
「しかし、それは数年前の話ですよね?今では改善されてるんじゃないんですか?」
マツリの意見をコウガは即否定した。
「いや、俺はそれはないと思うな」
「何故ですか?」
「さっきも言ったように、こんな辺境の地じゃ、外に伝わる情報なんてたかが知れてる。改善どころか、悪化してるかもね」
「そんなぁ…」
マツリはしょんぼりとして項垂れた。
最終的に、コウガたちは男女混合で別れて宿泊しようと結論付いた。
深夜。
カナエは敷いてある布団に寝転がっているカグラとマツリ、ユキミチの枕元を通りすぎ、廊下へと通ずるドアに向かっていった。
「姉さんどこに行くんですか?」
カナエの目的が気になった、カグラとじゃれついているマツリはカナエを呼び止めた。
「お風呂よ。1人でゆっくり入りたいわ」
カナエがドアノブに手をかけたとき、ユキミチが立ち上がってカナエの後ろについた。
「扉の前で待機しておきましょうか?」
「うーん、大丈夫です。何かあっても1人で対処しなきゃ、これからやっていけないですし」
「そうでございますか…。ご無理はなされずに」
「はーい、わかりました」
カナエは部屋を出て、浴場に向かった。
脱衣所、浴室ともに広くはなく、いっぺんに利用できるのはせいぜい3人までが限界というほどの広さだった。
「狭いわね…。まあ、仕方ないのかな…」
カナエは脱衣所の扉を閉めた。
カナエが湯船に浸かると、少量のお湯が木で出来た浴槽から溢れた。お湯は何故か乳白色に濁っており、不透明であった。
「入浴剤?」
カナエは壁に設置された看板を発見した。看板にはお湯の説明が書かれていた。
「…へぇー、天然温泉なんだ…」
看板に長々と書かれていたことを要約すると、天然温泉が使用されている、地熱が働いており、地下水が暖められている、汲み上げる際にミネラル成分を豊富に含んだ砂が混入し、乳白色となっている、等々…。
カナエは半分程読んだところで、看板から目を離した。
「長い…」
カナエは天井を見上げ足を伸ばした。脱衣所に通ずる扉を正面に、肩まで浸かって浴槽に寄りかかっているカナエは、足を完全に伸ばすことはできなかった。
しばらくの後、扉が開く音がした。
「(あら…私以外にもこんな時間に入る人がいるのね…)」
カナエは扉の方に視線を向けた。そこには、タオルで前を隠しているアツミの姿があった。
「えっ?!」
カナエは驚きのあまり、お湯から半身が飛び出してしまった。
「そんなに驚かなくてもいいでしょう?お風呂位ゆっくり浸からせてください」
アツミは風呂桶で体を流した後、カナエと距離をあげて湯船に浸かった。ちなみに、タオルはきちんと浴槽の縁に畳んで置いた。
「(何で…この女がここに…!)」
カナエはお風呂でゆっくりするどころか、アツミが何か仕掛けてくるのではないかと気が気でなかった。
「警戒しなくてもいいんですよ」
カナエの敵意剥き出しの視線に気づいたアツミは、どこかよそよそしい口調で言った。
「はっ?いきなり何を言い出すかと思えば、何よそれ。警戒するなっていう方がどうかしてるわ」
「私の母校であなた方に危害を加えるほど、下衆な人間ではありませんので」
カナエは『母校』という言葉に引っ掛かった。
「母校?」
「ええ、そうですよ。この、無法地帯の代名詞のような学園をそう呼べるのなら」
アツミは両足を伸ばして、浴槽の縁にかけた。顎が水面についた。
「少なくとも私が在学していた数年前はそうでした。ここに来る前に、寮を少し覗いて見たのですが…相変わらずといった感じでしたね」
カナエは黙って(顔は下を向けたまま)アツミの話を聞いていた。アツミはカナエの様子から、コウガからある程度は話を聞いていると判断した。
「実は、あなた方がこの学園に足を踏み入れた時から、行動を監視していました」
「知ってたわよ」
「えっ?」
アツミは尾行がバレていたことを誤魔化すために咳払いをした。
「…で、昼間、実技棟で授業を見学されていたと思いますが、あのような行いのよい学生はごく一部です。実際は…ご自身の目で確かめて貰った方がいいかも知れませんね」
その時、脱衣所の方で物音がした。磨りガラスになっている扉から、数名の人影が動いているのが見えた。
「噂をすれば影が差す、とよく言ったものですね」
磨りガラスの扉が僅かに開いた。アツミはすかさず目を深緑色に光らせ、右手を体の前にユラリと伸ばした。直後、数名男子学生の悲鳴とも呻き声ともとれる声が響き、のたうち回っているのか、激しい物音も混じっていた。
「数学の勉強をしましょう。今第2象限の位置にあります。さらに180°ねじ曲げたら第何象限になるでしょうか?」
アツミはじわりじわりと右手を時計回りに回転させていった。
男子学生たちの声は断末魔の叫びとなり、一目散に脱衣所から逃げ出していった。
その様子に、カナエは呆気に取られていた。
「容赦ないわね…あんた…」
「男はあそこが一番弱いんですよ。ちょっとねじ曲げるだけであんな感じになります」
「前にやったことあるの?」
「数年前に。あのときはまだこの力に不慣れだったので蹴り上げてやりましたけどね」
「へ、へぇー…」
カナエは返す言葉が見つからなかった。
作者コメント
男の大事なものをねじ曲げられたり蹴り上げられたりしたら最低でも10分は動けません(白目)
過去の記事をまとめました!
以下のリンク先より読むことができます!
序編
草原階層前編
草原階層中編
草原階層後編
湿原階層前編
湿原階層中編
湿原階層後編
雪山階層前編
雪山階層中編
雪山階層後編
洞窟階層前編
洞窟階層中前編
洞窟階層中後編
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