3月30日 19時50分に 生駒市立病院から電話が鳴り、父が呼吸できなくなり、呼吸器挿管したので、今すぐ来てくださいと
なぜかこんな時に、食後のビールを飲んでいたわたしは、挿管にショックをうけ、タクシーより電車が早いからと、自転車で駅まで行き、その間 弟や弟の嫁さんに電話し、駅から電車に飛び乗りました。
20時7分の難波行き、病院は、東生駒です。20時18分東生駒つき、病棟まであがると、父は呼吸器挿管されてました。
ショートステイの時の父
京都にいる弟が電車で駆けつけ、21時50分に到着。ドクターが説明に来てくれて、すでに、脈がふれるぐらいで、機械により呼吸している状態。私は弟が到着するまで、父にいろいろ話かけてもしかしたら、聞こえるかもと、すると、まぶたが動きました。
弟も、顔や手、足をなでて、来たからなあと、すると、脈が、ピコーンと、振れました。
脈が、真っ直ぐになり、最後のお別れをして、ご臨終と宣告を受け、機械を外しました。
3月19日に、体調がよいから、鎖骨の下に点滴をするための装置【CVポート造設術】を埋め込み、体調もよいし、血液検査も状態よいと言われてました。
その時の 3月19日(火)の父
とても、良い状態と、午前に入浴し、
13時に手術、私は14時に会いにいきました。爆睡してました。声かけても、ゴーと寝ています。頭を撫で撫でして、私は帰りました。ドクターは、次の入院患者さんの対応で会えず、爆睡してる父を、起こせばよかった。無念です。
父は、令和6年3月30日 22時08分に亡くなりました。
寂しくて、おかしくなりそうです。
脈が戻るかもと、ちかみつさんロザリオを
合谷に当てました。一瞬エネルギーが上がったように感じました。
寂しくて眠れません。葬儀の会社の方が父の遺体を搬送に、24時15分に病院に来られる。父を葬儀の会場に運んでくださいます。弟は、母の実家に泊まり、私は電車で帰ってきました。明日は、父が安置されている場所に行きます。明日じゃなくて、今日だ。
髪の毛が左に流れて、可愛らしい父
息子が卒業式のとき、コロナで同志社大学閉鎖。友人と御所に集まる事に、その前に父に会いに顔出ししてくれました。父にとっては、孫です。