R6年2月22日(木) 特養から、荷物引き上げ。とにかく感謝しかありません | oniel9876のブログ Pleiadesタカコ

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今から30年ぐらい前に シャーリーマクレーンに感銘を受けて、神との対話で衝撃を受けて、目に見えない世界が大好き。おばあちゃんのつぶやきみたいな感覚で書いてます。待ち受けは息子が長崎幼稚園時代(娘29息子25)夫と2人暮らし。孫2歳、文章は下手で支離滅裂です

小雨の中、運転苦手な私は、父がお世話になっていた特養に、荷物引き取りと、契約解除の手続きに行きました。

近畿大学農学部(奈良)の前を通り、山を少し下がった所です。

あいにくの雨と、ノスタルジーな気持ちで

寂しさがこみあげます。

最近、時間がいっぱいいっぱいで、思考がおかしく、なかなかブログに書けない状態でした。

【ホームページより写真お借りしました】


ケアーマネージャーさんが、出てきてくださり、保険証の返却など。次に転院する先は、まだ決まらないけれど、生駒市立病院のケアワーカーさんから、紹介された先をさらっとお見せしたり。


特養の介護士リーダーの若くて素敵な

Kさんが 出てきてくれて、大きい荷物 棚や、洋服その他を、滑車に積んできてくださいました。

父は、本当に、Kさんの事が大好きで、娘の私が面会に行っても、ボーっとしていても、介護士リーダーのKさんが入ってきてくれたら、ふふふふふ〜と笑ったり、冗談を交わしたり。

Kさんが、本当に寂しいです。と、目に涙を溜めて言ってくださいました。

父が、発熱救急車から、コロナで生駒市立病院に入院しても、こちらの特養に帰りたいと言っていた話。

ただ、病院からは、食事が本当にとれないから、施設に戻るのは無理と言われた話しなど、ありがとうございましたとお伝えしました。

次に、顔なじみの、前回、夏に

誤嚥性肺炎で、西部病院に入院したときに、付き添いしてくださったHさん。

優しいお母さんのような、話し方で、父の食事介助のときも、リンゴジュースなど、いろいろ飲ましていただきました。西部病院から退院して、また、特養に戻れたR5年8月2日にも、お電話くださった方です。

また、ショートステイのメインの看護師さん。目がくりくりした、可愛い方です。ショートステイではずっと担当していただいていたそうで、

その時から、父は○○さんは、人気者だったんですよ。すごく冗談が楽しくてと。私はもはや、涙があふれ、マスクもぐちょぐちょでした。特養の性質上、やはりマスクはまだ必要。


そんな中、荷物を車に積みあげ、みなさん運んでくださり、お礼を言って

🚗を出しました。


父が正式に入所したのは、

令和5年の3月9日でした。

令和4年の11月に、母が限界を迎えて、父のケアーマネージャーに死にたいと言い始めて、急遽、介護区分認定の運びとなり、

要介護2→から、要介護4になりました。その後、かなりの日数を、ショートステイでお世話になり、施設に空きがでて、担当の方からお話がありました。

考えたら、短期間でかなりの事がすすみ、走馬灯のようです。

療養型医療院に転院することになりますが、まだ決まっておりません。ケアワーカーさんから、提案いただいている状態です。