小雨の中、運転苦手な私は、父がお世話になっていた特養に、荷物引き取りと、契約解除の手続きに行きました。
近畿大学農学部(奈良)の前を通り、山を少し下がった所です。
あいにくの雨と、ノスタルジーな気持ちで
寂しさがこみあげます。
最近、時間がいっぱいいっぱいで、思考がおかしく、なかなかブログに書けない状態でした。
【ホームページより写真お借りしました】
ケアーマネージャーさんが、出てきてくださり、保険証の返却など。次に転院する先は、まだ決まらないけれど、生駒市立病院のケアワーカーさんから、紹介された先をさらっとお見せしたり。
特養の介護士リーダーの若くて素敵な
Kさんが 出てきてくれて、大きい荷物 棚や、洋服その他を、滑車に積んできてくださいました。
父は、本当に、Kさんの事が大好きで、娘の私が面会に行っても、ボーっとしていても、介護士リーダーのKさんが入ってきてくれたら、ふふふふふ〜と笑ったり、冗談を交わしたり。
Kさんが、本当に寂しいです。と、目に涙を溜めて言ってくださいました。
父が、発熱救急車から、コロナで生駒市立病院に入院しても、こちらの特養に帰りたいと言っていた話。
ただ、病院からは、食事が本当にとれないから、施設に戻るのは無理と言われた話しなど、ありがとうございましたとお伝えしました。
次に、顔なじみの、前回、夏に
誤嚥性肺炎で、西部病院に入院したときに、付き添いしてくださったHさん。
優しいお母さんのような、話し方で、父の食事介助のときも、リンゴジュースなど、いろいろ飲ましていただきました。西部病院から退院して、また、特養に戻れたR5年8月2日にも、お電話くださった方です。
また、ショートステイのメインの看護師さん。目がくりくりした、可愛い方です。ショートステイではずっと担当していただいていたそうで、
その時から、父は○○さんは、人気者だったんですよ。すごく冗談が楽しくてと。私はもはや、涙があふれ、マスクもぐちょぐちょでした。特養の性質上、やはりマスクはまだ必要。
そんな中、荷物を車に積みあげ、みなさん運んでくださり、お礼を言って
🚗を出しました。
父が正式に入所したのは、
令和5年の3月9日でした。
令和4年の11月に、母が限界を迎えて、父のケアーマネージャーに死にたいと言い始めて、急遽、介護区分認定の運びとなり、
要介護2→から、要介護4になりました。その後、かなりの日数を、ショートステイでお世話になり、施設に空きがでて、担当の方からお話がありました。
考えたら、短期間でかなりの事がすすみ、走馬灯のようです。
療養型医療院に転院することになりますが、まだ決まっておりません。ケアワーカーさんから、提案いただいている状態です。