病院のはしご終了しました。
疲れました

1つは心療内科でした。ちょうどお薬がなくなる事もあり、動悸が激しいため行こうか悩んでいたのでナイスタイミングでした

今回毒にされた話を聞いた先生は驚き苦笑い…。
離れなさい。と一言きつく言われました。
その通りなんでしょう…。
そのお話はこれからまだ続く愚痴の最後に出てきます…

そして愚痴の続き…

関西に行く新幹線の中、私は涙が止まりませんでした。
父や祖母を思うと、こんなやり方…と、恨みしか出てこなく…。
関西に着き、知らない土地、知らない方言。
そして私を駅まで迎えに来ているはずの毒と妹が見当たりません。
探す気もない私はホームの椅子に座り待ちました。
するとしばらくしたら凄い形相をした毒と妹が登場しました。
何でも父から聞いていた到着時刻が間違えていたらしく、私が見つからない事を心配していたとか。当時は携帯なんてないですからね

ですがそんな事情を知らない私は会ってすぐに毒がヒステリックに怒っている声を聞き、祖母との悲しい別れの後だった事もあり恨みは更に倍増でした…。
元々凄くヒステリックな人なので…。
毒の元へと行った私は荒れに荒れました。
何かに取り憑かれたかの様に暴れました。
妹が関西弁を喋ってる事さえ嫌でした。
周りが関西弁だらけなのも嫌で仕方ありませんでした。
親子ゲンカで警察沙汰になった事もしばしば…
思春期を迎えていた私は毒の全てが許せませんでした。
「嫌だったらこっちに来なかったら良かったのに」と毒に言われた時には殺意さえ覚えました。
抑えられない感情…
コントロールがきかない感情…
自分の感情を止める術さえ分かりませんでした。
今思えば、本当は幼少期もっと毒に甘えたかった。そんな気持ちが反抗、恨みになっていたのかな…と思ってみたり…。
毒は綺麗な人で、幼少期の私には自慢の母だったのです。ですが大人の事情とはいえ、結果置き去りにされ、知らない間に妹まで生まれていた時にはもう自慢の母ではなくなり復讐対象でしかありませんでした…。
ですが末の妹にしたらそんな事は関係ないですし、あまり知らない姉が突然やってき、しかもその姉は暴れまくる…

末の妹にしたら怖かったでしょう…。
ちょうど私の10才下なので、あの頃はまだ保育園児だった末の妹。
ですが私はそんな妹も容赦なく虐めてました。
あの時はこの子のせいで…という思いが強かった気がします。
毒が暴れる私を基地外と呼び、妹を庇えば庇うほど私は暴れました。
積木くずしというドラマが昔ありましたが、あそこまでではありませんが、あれの二歩、三歩手前くらいまでは暴れてたと思います。
ですがそれは私と毒の問題…。
私が関西に行った事で妹達は辛かったでしょうね…
大人になり妹には謝罪しましたが、辛かった記憶は消えないですよね…。
ですがそんな私をお姉ちゃんと頼ってくれる妹には感謝しかありませんでした。
そんな生活でしたが、月日が経つにつれ一度は落ち着いた時期もありました。
ですが些細な事から毒と私はすぐ喧嘩になり、夜行列車で新潟に帰ろうと1人電車に乗り込んだ事も何度かありました。そんな事の繰り返しでいつしか私は家に帰らなくなりました…。
ここまでの私は本当に最低ですね…

当時の自分には反省しかありません…