歴史モノの創作に、文献は欠かせません。
そこから物語の発想が生まれることもしばしば。
発想ができる文献とはどんな文献か?
これは文献の問題ではありません。
お話を創れる人が手にすることによって、文献は初めて創作のネタとして生きてきます。
お話を創れない方が、文献を語ると創れない思想が入ってきます。
創作に使えない文献のような錯覚を与えます。
創れない思想は反面教師と捉えて、惑わされず独自の発想を閃かなければなりません。
でも先に断定的に、歴史上○○となっています。と語られていると使いづらいんですよねー。
衣装語りもですが、龍の刺繍や鳳凰の刺繍なんて語られたら、龍や鳳凰を描かなければいけないような威圧感というのでしょうか?
誰も触れていなければ、いろんな発想で衣装の模様も描きたいと思いますが、誰かに先に語られた瞬間魅力を失います。
後から語られても、二度と描きたくないのは、思考が合わない他人だから。
たぶん知っているレベルの感覚だからですね。返り血メイクのような萌えには至らないというか。
知識と感性の違いというか。知識では創作意欲にまでなかなか結びつきません。
創れないのであればあえて語らない遠慮するマナーというのでしょうか?
そういう配慮が創作としては、かなり重要になるのだと思い知らされた、旧ブログ時代でしたw
ちなみに鳳凰は漫画「火の鳥」の影響で、かなり好きなんですね。羽を描くのが好きですしw
描きたいかな~という気持ちがあったのですが、かなり萎えています。
逆に龍に関しては、王族を表現する意味で避けては通れないですし、萌える歌詞の曲を聴いては常に描きたい。
言葉による魅力もスゴイ影響があって、詩という短文ですぐに描きたくなる(笑)。