1992年春、名古屋で新しい仕事をこなす日々は淡々と、しかし忙しく過ぎていきました。
藤が丘のバー「シモン」に通ううち、マスターと打ち解けて話すようになりました。
マスターもバンドマンでギタリスト、話が弾みました。
しかし、こっちはすでに元バンドマンになっていました。
その年の秋、同期社員が東京から名古屋に転勤してきました。
いつも笑いの中心にいるような明るいタイプなのですが、大阪で生まれ育った関西特有の押しの強さが
苦手で、友達にはなれないタイプだと思っていました。
それでも同期の義理でとりあえず二人でめしでも食おうとなったのでした。
シモンで2次会になるころにはすっかり打ち解けており、酒の力を思い知りました。
音楽の話になり、意外なことを言い出すのです。
自分はドラムが好きで学生の頃は少しだがバンド経験もある、名古屋でドラム教室に通いたい
ので、道案内してほしいとのことでした。
数日後、個人のマンションで開校しているスクールに決めました。
一緒にバンドをやらないかと誘ったのはごく自然な流れでした。
この人こそ、マリーアンドファナーズのドラマー舛野氏なのです。
「キセバンド」のドラマーは、控えめな性格で、ライブをやるということに対して、あまり
積極的ではなかったので、この押しの強い関西ドラマーはとても心強かったのでした。
舛野は大阪が実家、私は家内の実家が大阪、千田、佐々木は関西在住です。
名古屋-大阪を往復する遠距離恋愛バンドがこうして出来上がったのです。
名古屋のスタジオで練習した後、ミーティングでバンド名を決めようということになりました。
いくつかの候補のうち、佐々木が持ってきた名前の衝撃を今も忘れません。
「マリーアンドファナーズ」はこうしてできあがりました。
つづく
