コルゲートマシーンズのリハ終わりに飲んだ帰り道、もう一回スタジオに入ろうとなりました。

ドラマー鎌倉氏はこういうフザけたノリが性に合わないと先に帰りました。


メトロでGOの作詞者、ベースの千田氏が作詞ノートを持っていたので、これを見ながら

佐々木と私が交互に即興で歌にしていったのです。

千田ノートには驚くほどたくさんの詞がつづられていました。

そしてどの詞も、それ自体が既にメロディーとリズムを持っていると感じました。

ドラムは、私と佐々木が交代で叩きました。


けっこう酔っていたので、まるで狂気の沙汰でしたが次々と即興曲が出来たのです。

それなりに長い音楽人生の中で、このような経験は後にも先にもこの時だけでした。

しかし、この経験と録音テープが後のマリーアンドファナーズのオリジナル曲の源泉になるのです。


 そして、1992年の春、バンドにとって決定的な危機が訪れます。

5年務めた大阪から名古屋支社への転勤を命じられたのです。

思い起こせば、会社に入って、いろんな偶然が重なり、5年間も音楽活動を続けられた

ことがいかに幸せであったことか。

これで高校時代から途切れることなく続いたバンド生活にも終止符を打つのだと覚悟したのです。

サラリーマンに転勤はつきもの、当たり前のことが起こっただけと理解はできても、まだやり残した

ことがありました。


最後のライブは、業界団体の屋外イベントでした。前夜から雨だったので、中止と思われました。

朝、雨が止んで、無事にステージに立つことができました。


これで最後なんだという寂しさとやり残した悔しさがこみ上げてきました。

一人になった時に泣きました。


自分の中で、一つの大きな時代が終わりました。


つづく