古屋兎丸。

太宰治の人間失格のマンガ版。
こう言ってしまうと、とても退屈なものを想像させてしまうだろう。
しかし、この古屋兎丸という人の才能は、きっと誰の想像をも軽々と超えてしまうのです。
あえて、内容には触れないでおこうと思います。
かなり踏み込んだ性表現がありますが、全くポルノの感じはしません。
学生のころ、太宰治の人間失格を読んだ。内容は、うっすらとしか覚えていないが、感覚的に
覚えている絶望感とか、人の心の闇の深さとかが符号した。
古屋兎丸、デビューは「ガロ」らしい。最後の世代なのだそう。
自分が学生のころのことを思い出した。
大学1年のときに、仲の良かった友人が、「マンガ家になる」と言い、大学をやめて上京した。
青林堂の研究生となり、「ガロ」でデビューを飾った。その作品目当てで「ガロ」を読み始めた。
そもそも、あまりマンガは読まなかったが「ガロ」は面白かった。少年ジャンプとか少年誌が大衆文学
だとすると、「ガロ」は純文学に相当すると言われていた。えげつないほど残酷な暴力描写のものがあったり、
ただ、天真爛漫なギャグ漫画もあった。自殺志願少女の心象風景、猫を主人公にした詩のような作品、どれも
それまで知っていたマンガとは似て非なるものだった。
今、思えば、作家の才能とその作品に対して、誰も制約や制限を加えなかったのだろう。そこをして「純文学」
と評価されていたのだろうと思う。
古屋兎丸の人間失格、マンガってこんな表現ができるのかと驚いた。大人の鑑賞に堪えるマンガ。
あのころ「ガロ」と同じ匂いがした。
マンガを文化というのなら、こういう上質なのも、是非、海外に輸出して欲しいと思うのです。