「詞ってどうやって書くのですか。」
マリーアンドファナーズの売りは、詞である。
いかに詞を聞かせるかが演奏の大前提であることはメンバーの共通認識である。
前のベーシストが、詩を書く人だった。
マリーアンドファナーズの前身の「えせジャズバンド」のころ、ノートを見せてもらった。
たくさん詩を書いていた。
「この詩に曲をつけてくれ。」
ある日、酔っぱらってスタジオに入ったとき、まさに酔狂で、この詩で即興演奏をした。
ボーカルは、ササ氏と交代で、このノートを見ながら、即興で歌い、ギターでリズムを決めて、
なんとなく全員で合わせる。
このときの演奏は、カセットテープに録ってあり、「狂気セッション」と仲間うちで呼んでいた。
ここから実際にレパートリーとして採用されたものもある。
’91年ごろだったと思うが、このころは、素面で練習なんかしたことが無かった。
楽しかったけど、後ろめたさの残る、あと味の悪い楽しさだった。
このセッションを通じて、このベーシスト詩人のすごさを発見することになるのだ。
「えせジャズ」からロックへと舵を切り始めたバンドは、クラブトンとか、サンハウス
などのコピーをやっていたが、マリーアンドファナーズのオリジナルは、こうやってスタートした。
ギター、ササ氏は、多作だった。次から次へとノートの詩に曲を付けていった。
カセットMTRにリズムマシーン、ギター、ベース、ボーカルの入ったテープでもらっていた。
自分も曲を付けてみた。いや、むしろ、詩が曲を要求するというか、すでに詩がメロディーとリズムを
持っていて、それを引き出すような作業だった。
不思議なことに、同じことをササ氏も言っている。
さて、そして、自分でも詞を作りたいと思うようになる。
前ベーシストのは、曲にすることを前提としない文学としての詩であり、自分のは、曲に付ける「詞」である。
その詩があまりにも素晴らしいので、感化されたワケです。そもそも言葉による表現には得意意識があった。
ギター・ササ氏は、この後もベーシスト詩をもとにヒット曲を連発する。
ライバル意識のようなものが目覚めてくる。
常に意識していたのは、ベーシスト詩に負けないクオリティーの詞ということ。
安易に体裁の良い言葉を並べたててコ゜ロ合わせをしたような陳腐なものでは、どうしても見劣り
してしまうだ。それでは、ライブ全体のなかで、バランスが悪くなってしまう。そうならないために、
詞のクオリティーということをいつも意識している。
今回、初めて披露した「太陽」という曲ですが、この詞のコンセプトは、「ポジティブにいこう」。
このコンセプトに対して、「がんばろう」という言葉を用いてはダメ。
「お前もがんばれよ」と返されるのがオチだ。
聞き手を意識することである。
我々が、有名なロックスターだったら、歌詞なんかなんでも良いのだ。「がんばれ」と歌えば、
「がんばる」と返ってくるであろう。
もっと言えば、オーディエンスとの関係性の問題なのだ。
アマチュアのロックバンドと、半分義理で聞きに来たオーディエンス。なんという希薄な関係性で
あることか。では、どうやってこの関係をもっと深く、そしてその時間をお互い有意義なものへと
変質させるのかが問題なのである。
では、具体的にどうするのか。
「もっと前向きにいこうよ」
と言いたいのであるが、そのままでは伝わらない。通じない。
そこで、たとえば、詞の中で、状況設定をします。
「太陽」の場合、まず、夜であることを設定します。
そして、「太陽が昇ったら、金色に輝く道を、あてもなく走り出せ、新しい旅をはじめよう。」
という、形を変えた「がんばろう」を示すわけです。
つまり、聞き手が、自発的に「がんばりたい」と思わせるわけです。この自発性を促すというのが大事
なのです。
理屈で言うと、以上のようになるのです。
歌うのはこちら。勝手に歌います。感じるのは聞き手の方です。
勝手に歌いますが、その歌で、何かを感じて欲しいと思いを込めるのです。
これは、ボーカルだけでなく、マリーアンドファナーズの全員がそう思っています。
だから、一生懸命練習します。金にもならないことにいい大人が真剣に取り組むのです。
これを滑稽と笑うむきもありましよう。
しかし、ときどき
「あの歌、良かったよ」
と言って頂ける事があるのです。全てが報われます。ほんの少し、何かが伝わったという実感。
この経験のために、金をかけ、時間をかけ、疲れた身体に鞭を入れ、知恵と理屈を最大限に
絞り出すのです。
こんなやりがいのある仕事はないと思っています。
