この間、花魁道中が熊本でありましたので、
花魁ってどんなものか、書いてみたいと思います。
遊郭は最高級の社交場でした。
性に非常に開放的な時代でもあったので、
売られた子供も正式に働いてましたね。
一回遊ぶ料金が大体職人の年収くらいだと言いますからいかに高いか・・・。
どうにもこうにも。
しかも一回目は顔を見るだけとか、
二回目でご飯食べるだけとか・・・。
一緒にベッドに入るには最低三回??
年収三年分でござる。
しかも紹介が無いと入場できない。
庶民は陰間茶屋とか、遊郭とか、銭湯の湯女とか、
安く女の人と寝れるところがありました。
奥さんがいても結構盛んに行ってたみたいですよ。
愛人に関してもかなり公だったそうです。
一回の遊ぶ時間はお線香が燃え尽きるくらいで、
実際線香を時計代わりに使っていました。
嫌な客が来たら線香少し折ってたって。
『千と千尋の神隠し』は確実に当時の風俗のお話。
あれは神様に性接待をするお話なんだよねえ。
人気に応じて、遊女にも階級があり、
そのもっとも上位に位置するのが、
『太夫』
花魁道中はその太夫のお披露目の行列なんだよね。
そういう性に開かれた時代でもあったので、
それはそれはあこがれの的だったよう。
太夫と遊ぶには。。。。
現在のお金で6000万円以上かかったと言われています。
しかも一回目とかとおおおおおおおおくからちょっとだけ顔をみたりする程度。
だから太夫も歴史上そうたくさんいるわけではないんですけどね。
幕末には、そういった価格も世が荒れて安くなって、
新撰組も維新志士も通いつめだったとか。
維新志士はお国から単身赴任で危険な仕事をしていたので、
そうとう国からもらっていたようです。
遊郭では新撰組と維新志士が同じ店で遊ぶことあったらしい。
遊郭発祥のもの。
指きり。小指を切って送っていたり。
刺青。あなただけのものよ。って客の名前を掘った。一生消えない名前ね。○○命っていうもの。
(客の名前を統一してごまかしてたりしてたらしい)
ありんす言葉。地方から買われてきた娘たちが、方言を隠すために吉原で作られた言葉。
その雰囲気の良さも手伝って、プレミア感がついた。
ざます言葉。元々吉原で使用されていて、明治になって女性たちが解放されると、
政財界の人々がこぞって妻にしたので、上流階級に広がった。
茶柱が立つと縁起がいい。 茶碗を女性器、茶柱を男性気に見立てて、
立つと遊郭がもうかるってわけ。
遊郭を脱走すると・・・。遊郭の女性たちは売られてきているので、遊郭の所有物。または借金の方で、
稼ぐまで出れなかった。体が商売道具なので、いかに体を傷つけない拷問を行うか、という事で、
爪の間に針を刺すとかやっていた・・・。痛すぎる・・・。
遊郭の門は固く閉められ、周りを深い堀で囲まれた。
外出の際も厳重な管理の元、一時的に外出を許されていた。
武士は意外に儲かってなかったらしく、
商人が良顧客一位、その次に変装したお坊さんが多かったという・・・。
坊主だから頭巾をかぶって医者に成りすまして通っていたってさ。金もってんなー。
という事で、
遊郭も周りにあこがれられるよなプレミアがついてこその商売だったようです。
が、一番儲かるのは経営者。
今も昔も変わらんね・・・・。
ちなみに花魁はほぼ十代です。
20歳を越えると『年増』
25歳を越えると『中年増』
30歳を越えると『大年増』と言われていたそうです。
それを過ぎると初老です・・。
怖い響きだな・・・。
花魁道中もそういう事を念頭に置きながら見ると感慨深いかも・・。
外国でも日本でもそうだけど、こういった遊郭は神社の周りに多かったって言うのも不思議な共通点。