こちらは妖怪というより、民話、伝説の部類ですね。
横手五郎という人にまつわる話です。
熊本城内の月見櫓に首掛石と呼ばれる変わった形の石があります。
これは築城の析に横手五郎という怪力無双の若者が、
花岡山から首にかけて運んできたものだと伝えられています。
横手五郎は、以前から怪力との評判で、
清正の行列に立ちふさがった牛を担いでどかしたほどでした。
清正は熊本城の築城の際、
五郎も参加させました。
それはそれは、その怪力が役に立っていたという事です。
しかし、実はこの五郎は、清正と戦って破れた天草氏の客将・木山弾正の遺児であったと発覚。
父の仇を討つために清正に近づいたのだと噂されます。
あまりの怪力に自分の首を取られることを恐れました。
そして、五郎に井戸を掘る作業をさせ、
上から大岩を落として五郎をつぶそうとします。
しかし、五郎には全く通じず、
井戸の底から投げ返されてしまいます。
五郎は『俺には岩など効かん!俺を埋めたいなら砂を入れて埋めてみろ!』と言いました。
井戸は砂で埋められ、
五郎は生き埋めにされてしまいました。
生き埋めという所が異常なことに気づかされます。
清正は殿様なので、処刑も当然できるわけです。
人々が口をつぐんでなかなか伝えられないものですが、
江戸時代以前の建物や、堤防などには特に、
人柱を使う事が頻繁に行われていました。
構造物を強固にするには、生きた人を埋め生け贄にするのが一番良いと、
それが普通の考えとしてまかり通っていました。
中には目を焼けた鉄でつぶしてから埋める、など残酷な埋め方もありました。
当然、人を殺すというのはわかっていたからか、なかなか次の世代に語り継がれません。
しかも、外部のものを寄せ付けない超閉鎖社会の集落でしたから。
神や妖怪の生贄にも人柱が使われていますね。
ヤマタノオロチの話もそういった片鱗を見ることが出来ます。
村落単位では、
水害などが村の存続を左右してきました。
川の堤防沿いに祠やお地蔵様を見ることが出来ますが、
水害で亡くなった人を弔うものもあり、人柱の怒りを鎮め効果を高めるためのものもあります。
実際、構造物が強くなるという事はもちろんありません。
が、全国で盛んに行われ、隠されてきたのは事実です。
江戸城の石垣が崩れた際、
壁から白骨が見つかった話もありますし、
1600年代の日本の最高峰建築物にこのような考え方があり、
全国で行われていたことは間違いありませんね。
熊本でも加藤清正は治水に力を入れていて、
工事を盛んに行っています。
城に人柱を使った伝説が残っているくらいですから、
堤防づくりにも同様の方法が使われていると考えられますね。
歴史的建造物や、土手を眺めるとき、
ちょっと違った命の重さに目を向けてはいかがでしょうか。
和太鼓教室おんがくの森代表・坂本新吾
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