熊本の妖怪27☆横手五郎と人柱伝説! | 和太鼓×囲碁×子育て 和太鼓教室おんがくの森、おやこ囲碁交流会 のブログ

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こちらは妖怪というより、民話、伝説の部類ですね。


横手五郎という人にまつわる話です。

熊本城内の月見櫓に首掛石と呼ばれる変わった形の石があります。

これは築城の析に横手五郎という怪力無双の若者が、

花岡山から首にかけて運んできたものだと伝えられています。


横手五郎は、以前から怪力との評判で、

清正の行列に立ちふさがった牛を担いでどかしたほどでした。

清正は熊本城の築城の際、

五郎も参加させました。


それはそれは、その怪力が役に立っていたという事です。

しかし、実はこの五郎は、清正と戦って破れた天草氏の客将・木山弾正の遺児であったと発覚。

父の仇を討つために清正に近づいたのだと噂されます。


あまりの怪力に自分の首を取られることを恐れました。

そして、五郎に井戸を掘る作業をさせ、

上から大岩を落として五郎をつぶそうとします。

しかし、五郎には全く通じず、

井戸の底から投げ返されてしまいます。


五郎は『俺には岩など効かん!俺を埋めたいなら砂を入れて埋めてみろ!』と言いました。

井戸は砂で埋められ、

五郎は生き埋めにされてしまいました。


生き埋めという所が異常なことに気づかされます。

清正は殿様なので、処刑も当然できるわけです。


人々が口をつぐんでなかなか伝えられないものですが、

江戸時代以前の建物や、堤防などには特に、

人柱を使う事が頻繁に行われていました。


構造物を強固にするには、生きた人を埋め生け贄にするのが一番良いと、

それが普通の考えとしてまかり通っていました。

中には目を焼けた鉄でつぶしてから埋める、など残酷な埋め方もありました。


当然、人を殺すというのはわかっていたからか、なかなか次の世代に語り継がれません。

しかも、外部のものを寄せ付けない超閉鎖社会の集落でしたから。


神や妖怪の生贄にも人柱が使われていますね。

ヤマタノオロチの話もそういった片鱗を見ることが出来ます。


村落単位では、

水害などが村の存続を左右してきました。

川の堤防沿いに祠やお地蔵様を見ることが出来ますが、

水害で亡くなった人を弔うものもあり、人柱の怒りを鎮め効果を高めるためのものもあります。

実際、構造物が強くなるという事はもちろんありません。


が、全国で盛んに行われ、隠されてきたのは事実です。


江戸城の石垣が崩れた際、

壁から白骨が見つかった話もありますし、

1600年代の日本の最高峰建築物にこのような考え方があり、

全国で行われていたことは間違いありませんね。

熊本でも加藤清正は治水に力を入れていて、

工事を盛んに行っています。

城に人柱を使った伝説が残っているくらいですから、

堤防づくりにも同様の方法が使われていると考えられますね。


歴史的建造物や、土手を眺めるとき、

ちょっと違った命の重さに目を向けてはいかがでしょうか。



和太鼓教室おんがくの森代表・坂本新吾

メール ongakunomori1978@gmail.com

電話  08033760407