太鼓を叩く上で、ばちに意識を通わせることは非常に重要なこととなる。
お客さんに自分の想いを伝えるには、
太鼓に想いを伝えないといけない。
太鼓に想いを伝えるには、ばちに想いを伝えなくてはいけない。
ばちに想いを伝えるには、自分が『想い』を持たなくてはならない。
ばちというものは、太鼓と触れる、唯一の伝導者であり、
自分の体にもっとも接しているもの、
もっと言えば、自分の指なのである。
ばちを握った瞬間に、ばちの中心に神経がとおり、
硬いはずの木が、しなやかに曲がるような感覚になる。
まさに指や腕の延長。
そこに、自分とつながった神経を通すまでには、
10年、15年、それ以上の年月を積み重ねて感覚を少しずつ伸ばしていく。
もちろん、その間にもばちは折れたりするし、
大きさの違う太鼓を叩けばばちも変わる。
一つ一つのばちに、自分を通していく。
自分の側にその感覚が出来れば、ばちは答えてくれる。
ばちといえど、この世に生を受け、
共に生きた生命体で作られていることを忘れてはならない。
中には神経が縦に通っている。
ばちは決して横には作らない。
そこに意識を通す。
その感覚を養うにはどうしたらよいか?
視界=感覚と意識して練習するのが一番の近道のようだ。
人の視界は360度ではない。
上下左右、150度ほどしかない。
と言う事は、意識持っていけるのもその範囲のみと考えられる。
自分の体でも同じこと。
まっすぐ腕を上げた状態。前を向いていると、
その手は意識から外れている。
ばちをまっすぐ上にあげる、という簡単な行為なのだが、
実はまっすぐあがっていない。
意識から外れると、想像で行動するしかない。
鏡を見てみると、そのばちはあらぬ方向に歪んでしまう。
人によって、間接や、骨の形が違うのもあり、
そう言う事になってしまうのだ。
そこで顔を上に向けてみる。
すると当たり前だがばち先が見える。
ここで初めて、意識の中に入る。
まっすぐ修正することも出来るし、
ばちの先を見つめることで、ばち先に力が生まれ、
神経が通ってくる。
他の方向でも同じで、必ずばち先を意識する。(ばち先をみる。)
どんな早い曲を演奏しているときでも、
必ずこれをやっていく。
それを何百回、何千回、何万回と繰り返していくうちに、
視線のない方向でも自分の体として、思い通りに動いてくれるようになる。
そうすると、ばちの動く瞬間太鼓と触れる瞬間が『解かる』ようになってくる。
おそらくは、何十分の一、何百分の一秒の瞬間が感じられ、
時間と空間がみえるようになる。
こうなれば、表現の幅が爆発的に広がる。
太鼓との対話に置いて、
何十分の一秒前の一打と、それから何十分の後の一打は、
全く別の意味になっているのである。
普通の会話で言うと、
『こんにちは。』
『元気でね』
全く違う言葉だが、それくらい違った意味を持ってしまう。
ばちはあなたの体の一部。
この広い宇宙で、ここでこの太鼓とこのばちが触れ合っていて、
永い時間の流れの中で、この音を出している瞬間は今しかない。
この瞬間ここでしかこの音は出ない。
そしてその音を出しているのは、
あなた、そして、太鼓なのである。
それは、想像を超えるような素晴らしい出会い、素晴らしい時間なのだ。
和太鼓教室おんがくの森代表・坂本新吾
メール ongakunomori1978@gmail.com
電話 08033760407
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