僕は僕自身の言葉の表現力の無さ故に、人間という制限されたものでは何か心の奥底で意図するものは表現に限界があると勘違いしていたが、まずは言葉で理解できる範疇で表現すべきであり、人間であるのだからこそ、できる限りの言葉で伝えればよいということが分かった。もし言葉以上の表現ツールを必要とするならば、「楽器がしゃべる」と言ったように、楽器や歌である音楽、書道、絵画、生け花など、心を動かすもので伝えれば、今の僕らには十分過ぎるのだろう。まったく人間の表現力の限界を思うよりも、むしろたっぷりと今を味わうべきであり、私は自分の表現力の拙さと思考の浅はかさを痛感した次第である。正直恥ずかしい。
優越感を持って生きるのが好きで変に力をもった人間、いわゆる権力を持ち、普通の人間を貶める世界があるらしく、どうやらそこに僕らは生きているようだが、そういう優越感と人を蔑む心のある人々が熟考を重ねて理想郷を実現すべく何かを実行したとしても、世界はそう簡単に彼らの望み描く世界のようなものにはならないのだろう。
例えばスーザン・ボイルさんのような歌声に魅了されて目覚める人々もたくさんいることだろう。彼女の歌声が本当であるならば。でもこれでよく判った。よくない想念は実現しない。あの歌声を聴いてとても納得する。こんな目覚めるようなことが今や世界のいたるところで同時期に起こっているのだろう。嗚呼なんてすばらしいのだろうと、歌声を聴いた瞬間に、涙してしまった・・・笑。来るべくしてメールやインターネットが普及し、そのおかげで人間が一瞬にして感動の感情をうち放つのである。まさに時代に要求された絶妙なタイミングだ。
もし、神様がいるのなら、ぜひ聴いてください。この世に彼女のような才能のある歌声を聞かせてくれる人がいることを。それを聴いて涙する人間もいるのです。世界がよくない状況だのなんだのと不安と恐怖と憂いのベクトルが強くなる傾向にあるという現状を考えると、もしかしたら、この絶妙なタイミングで神様が彼女を表舞台に出したのかも知れない。それがどういう理由かを僕は感じたほうがよさそうだな・・・