今日の哲学
現実となったありのままの自分の再生(現実存在としての自己)には自分の言葉を蘇らせるというのもあった。例えばの話疾患であれば感情は持ってても言葉を失っている場合がある。本当は言葉というものは感情より情報が意味を持つのである。失われた言葉の再生とでも言おうか。つまり誰でもソフトが持てるというわけである。

実体験上アウトプットがあれば妄想は発生しなくなる。
大げさな話妄想だけが生きる希望になってしまう場合もあるのだ。すべてがただのイメージで実態のないものになることは恐ろしい。
どうやら精神医学は奥が深そうだ。
イメージがなくても実際家族がいて一緒に美味しい物を食べる。好きな音楽を聴くというのは確かな幸福である。
ちなみに感情っていうのはどこかで鳴っている音楽みたいなもので。それを音楽家したら喜びの涙と共にその人にとって音楽の意味はなくなってしまう。