今、小学一年生のお迎えの仕事をしている。
40分くらい一緒にいるのだが、コミュニケーションがうまくいかない。
知的障害があるとだけ伝えられ、その詳細はわからない。
その子が話す言葉が不明瞭で聞き取りにくい。「え?なんて言ったの?」と聞き返すと怒鳴られたりする。
また、話の内容について質問すると黙りこんでしまう。
こちらの注意をそれた時に駆け出して、勝手に電車のホームまで行ってしまった時には冷や汗が出た。
困って事業所に何の障害か詳しく知りたいと聞いたが、教えてくれない。
しつこく食い下がったら、同じ子を担当している先輩(介護福祉士の資格者)が電話をかけてきてくれた。
明るくて親切な人なのだが、なんとも言えないモヤモヤ感を感じた。そもそも、私が何でその子の障害について知りたがるのか、理解してもらえない。
一応、自閉症、とだけ教えてくれた。それ以上はその人もわからないそうだ。
自閉症といっても、アスペルガーとか、発達障害とか色々あるのではないか。もっと知りたい。
なのに、先輩は「私は何人もの障害児を担当してきました。○○ちゃんはいい子ですよ。そーんさん、考えすぎなんですよ。もっと気楽に。」と言う。
私が心配性の人間だとまとめられてしまった。
でも、私には、その子に近づくには、その子が世界をどう見ているのか知りたい。私とその子の見方は違うはずだ。
もしその子が理解のできない行動をしても、どういう考えをしがちで、どんなことをしやすいか知っていれば、こちらもパニくらないですむ。
‥というようなことを説明したつもりなのだが、「そーんさんは勉強熱心ですね!そんなにマジメにやらなくても大丈夫なんですよ」と返されてしまった。
この人の中には、相手の障害のことを知ろうという気持ちはないようだ。自分はうまく接することができている、その子も楽しそうだ。それでいいじゃないか?、と考えているのだろう。
うまく接することができていれば、問題ないのは確かだろう。きっと、その先輩は私よりずっと上手に接していると思う。私のように、緊張したり戸惑ったりしたりしないのだろう。
でも。でも、私は表面的に楽しく接している(私はそれも上手くできないし)のには物足りなさを感じる。せっかくその子に出会ったのだから、その子の世界に近づきたい。
それは、その子のためももちろんあるけれど、自分のためでもある。
その子が捉えている世界を少しでも知れば、私の世界が広くなる。もっと色々なことがわかるようになる。今まで気づかなかったことに気づくようになる。
たまにふと「ああ。私は片目をつぶって生きてきたんだな。」と感じる時が好きだ。
でも、それを他人に強制する訳にもいかず。
ただ、わかってくれればいいなぁとは思う。
でもその先輩はまったくもって無理そうだ。孤独感を感じた。
その先輩は明るくて、いい人だ。人に好かれる人だと思う。
でも、私は嫌いだ。