死ぬより他無い。まったくそういう選択以外ない状況
に追い込まれるのだ。


人間以外の動物に自殺という行為はない。比較的感情
を表現するといわれる動物でさえ、本能という鎖の縛
りが強く。人間のような多岐で細やかな感情を持ちえ
ているわけではない。それは非常に限定された感情で
あろう。よって生き死を選択する余地など皆無なのだ。

だが、人間は違う。「死を選択する余地」を持ち合わ
せている。それを、人間に賦与さられた神の救いとい
う者もおるようだが、馬鹿なことを言ってもらっては
困る。人間誰しも死を迎える。誰しにもある「一律の
死」を救いと言うのなら分るが・・・。


自殺は、いかな理由があろうとも、自身の生だけでな
く、関わる人々、関わることになったであろう人々の
生の営みを狂わせるのである。(これはそれがしの宇
宙に偶然事は無く、全て必然という考えからなのだが)

死を意識した時自身がどう心を持つのか、死にたいと
言う人に対しまわりの者がどう対処していくかで違っ
てくるのである。あくまで自ら死を意識する場合、生
きたいという要求は捨てられていないということだ。

死=苦生からの開放という誘惑は、それがしにも一度
ならずある。小学6年生の時の訳の分らぬ失恋に苦しみ
(人生最初の挫折)車道脇でたたずんだことある。
結局怖さに負けたのだが・・・それ以外の死に方を知
らなかった(思いつかなかったことが)幸いし生きておる。


だが、それがしのような例は一笑のうちに吹き飛ぶ問
題だがとても筆舌に尽くせぬ事に陥る人にとって、死
は楽への誘いを増す。死に囚われれば人は死しか見え
なくなってしまう。

見えなくなってしまう。これがその他の死に直面する
者との精神的差であろう。寿命や病気等では死を受け
入れるということであって、死を自ら選択する自殺と
はまったく違うと言ってもよい。


宇宙は進化している。

人間は別か?否、宇宙に属して生きている以上…とい
うか我々も宇宙なのだ。だから進化している。肉体的
には背が高くなる、足が長くなるなどの特徴的な変化
に留まるだろうが。


人間の進化とは、精神的進化であろう。


それがしという人間が今生に於いて学ぶこと常であり
人間関係や社会・自然現象、喜怒哀楽、艱難辛苦を受
けながら。また他者に与えながら精神進化し続ける。

種の保存本能だけが人間の宿命ならば、受動的社会構
成していただろうから他の動物の生態と変わりなかっ
たであろう。

人間は人間として完全ではないということを文明の発
展にて示してきた。今後もより発展を求めてやまない
であろう。

歴史を見ると、現代にいたるまで非常に文明は進化し
てきていると思う。精神進化が追いつかない現状も見
え隠れするが。

ということはである。我われが生きるということは、
進化のベクトルを与えられているのである。その個が
集まって全体進化に影響を与えているということ。

どんな生も進化に向かっている。
肉体の死=今生の進化の達成 
そのように考えられないこともない。あくまで自然に
任せた死の場合だが。(事件・事故による死も災害も)

自殺はやはり途中で全てを停止させる行為であるから
関わる全ての人々の進化過程に欠落をもたらす行為と
いえまいか。


ぐだぐだ考えずに  生きろ!