正座させられた意味も分からないまま、しばらくするとまた、意味不明な出来事が起こった。
「オヤツ」の出現である。
それまで私の手の届かない所にあった、甘いお菓子が目の前に出され、一瞬、頭の中が混乱し、目眩さえするのだ。
本当にこれを食べても良いのか疑心暗鬼を抱きながらも、私は味わって食べることも忘れて慌てて口の中に放り込んだ。
もしかすると、誰かに取られてしまうという恐れを感じていたからであるが、誰にも取られることなく、ゆっくりと食べて良いと知ったのは、それから数日後であった。
相談所生活も慣れて来た頃、ある事実を知った。
高橋が、「ユウキ」と言う、まだ小学生にもなっていない男の子のオヤツを取っては食べていたのである。
貧弱でケンカには弱い私だったが、そのようなことを見ると、放っておけない私である。
ある日、ユウキからオヤツを取っている、高橋を見ると、入所直後の恨みを思い出し、ドがつくくらい卑怯な私は、背後からひとり用の椅子で高橋を殴った。
けれども、腕力もない私である。
殴ったというよりも、振り回したに過ぎないのだが、下手な鉄砲も数撃てば当たるものである。
その内の数発が見事に頭と背中に大当たりし、高橋はその場にうずくまり、大きな声で泣き始めた。
その余りの泣き声の大きさに私はびっくりして、持っていた椅子を手放すと同時に、男性職員に羽交締めされそのまま事務室に強制連行されてしまった。
入所直後、訳も分からずに正座を強要した、あの男性職員にである。
その顔を見るだけで嫌な思いに陥ったのだが、怒鳴り声に近い注意を受けると私は、妙な反発心が湧き起こり、平然と男性職員を睨みつけて言った。
「先生も見てたやろうもん!高橋がユウキのオヤツ取ったん。なんで僕だけが怒られるん?」
率直な疑問を投げかけると男性職員は、怒り狂うとは正にこのことを言うこか、訳の分からない罵声を上げながら、殴る蹴るの暴行を加えてくる。
痛みは我慢出来る範囲内でありながら、唇は切れて鼻血を出す始末。
やがてその暴行も収まるものの、収まらないのがわたし自身だった。
殴り返そうにも、相手は私の倍以上ある大人であり、先生なのだ。
流れ落ちる血を服の袖口で拭きながら、男性職員を睨み付けた。
それが、私に出来る唯一、精一杯の反抗だった。
束の間睨み合っていると、奥のドアから誰か入って来た。
その姿を見ると私は嬉しくなり、男性職員は直立不動、硬直している。
私が入所当日、正座させられている時に助けに来てくれた、あの若い女先生だったのだ。
私の顔を見ると顔色を変えて、男性職員を責めるように聞いた。
「岡田くんに何をしたのですか?」
男性職員は、声を震わせながらも、
「こいつが、高橋を椅子で殴ったもので、、、」
男性職員の言葉を最後まで聞かず、女先生は言った。
「こいつって、誰?!後で私の部屋まで来なさい。」
と、厳しい口調で命令され、肩を落としつつ、立ち去った男性職員であったが、その後、男性職員の顔を見る事がなかった。
(数日後、その若い女先生は保護課(?)の課長さんだったことを知る。)
私に近寄り、膝を屈めつつ、若い先生は私に言った。
「事情は後で聞くけん、怪我の手当てを初めにしないとね。ちょっと待ってて。」
と、言うと館内放送で
「ヨシカワ先生、ヨシカワ先生。事務室まで至急来てください。」
と、ヨシカワという先生を呼び出した。
直ぐに駆けつけたヨシカワ先生を観た瞬間、私の心はときめいた。
その後、私の怪我の処理をしてもらったのは覚えてはいるものの、私の心はヨシカワ先生に心奪われていたのである。
このヨシカワ先生との出会いで、その後の私自身の運命が大きく変わろうとは、そのとき夢にも思わなかった。