2023年5月
手元に届いた1通の封書。
送り主の名前さえも知らない人からの知らせ。
封を開けると、そこには50数年間所在が不明であった産みの母親の名前が目に飛び込んで参りました。
今年、2023年の2月に死去したという知らせの文書。
私が幼い頃に突然失踪し、行方不明になっていた実の母親が逝去したということであり、私はその知らせ自体を信じることが出来ませんでしたし、受け入れること自体が到底無理でした。
それから数日後、、、
今度は、40数年もの間、音信不通であった2歳年上の姉が数年前に逝去していたとの知らせを受けたのです。
母親に、また姉にいつか会いに行けたらと、何があっても必死で生きて参りましたが、背骨が抜き取られ、陸にあげられた魚のように、正に暗闇のどん底へと突き落とされたのです。
非道に走り続けた私自身が、一般社会人として本当の意味で立ち直ったら、いつか母と姉に会いに行く。
そんな夢や望みは全て消え去り、「なぜ私は今まで生きて来たのか。」と言う自問自答と葛藤のなかで、容赦なく日は過ぎ去って行きました。
けれども、2023年も年末に押し迫った現在、思うのです。
自分は自分らしく、この人生を精一杯歩んで行こうと。
その想いが過去、最後の刑務所生活のなかで綴った文章の整理をしたいと言う想いが発端となり、今に繋がります。
私の生きて来た証として、自分の文章を後世に遺すことが出来たら幸せなことではないかと。
【家族構成と私の履歴】
父・母・兄・姉と私の5人家族です。
何気にそう書くと、どこにでも在る平凡な家族ですが、私が幼い頃に一家離散し、私たち兄弟は別々の養護施設で育ちました。
15歳、 中学校卒業と同時に社会に放り出され、父のもとに帰らされますが、どうしても父との関係性が上手く行かず町工場で住み込み従業員として働きます。
16歳、 4歳年上の兄が自らの命を断ってしまいます。
遺書として遺されたものは、「死ぬことって難しいですね。」たった一行の文字でした。
享年 20歳
後を追うように、翌年の1月31日、父が脳梗塞により逝去
享年 51歳
この時点で、母と2歳年上の姉の居場所も分からず、町工場からも不当解雇でクビとなります。
天涯孤独で行くアテのない私は、人気のない神社や仏閣で放浪生活をしていましたが、そこで声をかけてくれたのがヤクザ社会の人であり、それ以降、ヤクザ社会に身を置き40歳までの間、その世界で暮らします。
前科前歴は数えるとキリがなく、最後の服役となる懲役8年の実刑で足を洗うことを決意。
出所してから15年になり、その間には路上生活者支援、東北震災での現地ボランティアを重ね、町内の自治会長を歴任し、今ではボランティア団体の代表者として、日々葛藤しています。
けれども、未だに現実社会について行けないことが本音であり、前科者に対する受け皿が狭い社会に躓きつつも闘っているのが現状です。
【このブログについて】
前記したように、最後の服役となる8年間に刑務所のなかで書き綴った文章を整理し、私自身が生きた証として後世に遺すことを目的とします。
生い立ち作文、詩など。
【私の願い】
私の拙い文章を、ひとりでも多くの方に目を通して頂き、他人は先ず変えられず、変えられるのは自分自身ということを、こころで知って頂くことを願っています。
どんなに家族や社会に憎しみの目を向けて、あれこれ悩み苦しんでも、そこで立ち止まっていては何も変わらないのです。
どん底まで落ちてしまえば、あとは登るのみではないでしょうか。
日常生活は怒涛のような苦しみの波が押し寄せて参りますが、それに目を背けず、自分のありのままの姿で正直に生きてさえいれば、より良い素晴らしい友人が出来て参るものです。
どうぞ自分を大切に、暗闇のなか勇気ある一歩を踏み出して下さい。
このブログが、あなたの足もとを照らし出す灯火となれますように。