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「琉球王朝絵巻行列」の
「国王」と「王妃」の後に続く行列は
「国王」の次の最高位の官職の「摂政」と
その下で政治を司る「三司官」たちでした。

そして
次に登場する行列隊は
中国皇帝使者の「冊封使」の行列です。

「琉球王朝」時代は
「冊封使」を迎え入れる目的の行列であったとされています。

行列の最後を飾るのは
現在では、市民参加型のイベントですので
数々の「伝統芸能行列隊」となります。
これも、数回に分けて紹介したいと思います。


冊封(使)とは
中国の皇帝が属国の国王に対し、その即位を認める文書を与えること。その際、中国から派遣される使者を「冊封使」という。当時の中国「明」の洪武帝は「明」を頂点とする世界(それを冊封体制という)を築くため、琉球もその一員に加えるべく、再三使節団を派遣していた。
尚巴志は三山を統一し、琉球国として「明」の冊封体制の仲間入りを果たすことになる。以後、琉球王の世代が代わる度に冊封使を迎え、載冠式を行うようになる。冊封使は300-500名にのぼり、6-8ヶ月もの間滞在するため、冊封使を迎える準備は一大イベントと化していた。
冊封体制の一員となり進貢国となった琉球は、ただ単に中国皇帝への貢物を差し出すだけのものではなく、国として認知されるとともに、中国への貢物を運んだ船「進貢船」は、帰りには中国の特産品を満載して戻ってきた。
進貢国の王侯がかわると、中国皇帝が使者(冊封使)を派遣し新王を命した。琉球にたいする冊封は1404年から1866年の最後の琉球王尚泰(しょうたい)まで24回行われたという。冊封使一行は400~500人にのぼり、4~8カ月滞在した。冊封の式典は首里城の前庭で行われた。
(インターネット調べ)