15日の夜に東京を出発、16日から18日までボランティア作業をして18日遅くに帰ってきた。
CARE-WAVEというNPOの第5次救援隊の一員として。
(CARE-WAVEについては一緒に気仙沼、行きませんか?^^ を読んでくださいね)
作業する場所は気仙沼・大島地区、港からフェリーで20分ほどのところ。
空いている時間に気仙沼の被害の大きいところに連れていってもらった。
海岸線からはるかかなたの内陸まで津波で打ち上げられた大型漁船。
地元では『戦艦大和』と呼ばれているらしい。
地盤沈下のため、満潮になると下水道を通じて海水が湧きあがってきて、冠水する。
そう、今回行ってみて、復興への大きな課題と感じたのが、地盤沈下の問題。
気仙沼の港も大島も1m近く地盤が下がったそう。
しかも、何度か来ているスタッフの方の話では、地震直後よりさらに下がってきているとのこと。
魚加工場や倉庫があるあたりは海水がたまったまま手つかずになっている。
たしかに全体に盛り土をするのは気が遠くなる話だし、いったいどうしたらいいのか。
フェリーで大島に渡る。
大島は、津波で大きな被害を受けた島。
フェリーが津波で陸に打ち上げられ、本土との交通が遮断されたため、救援も遅れ、米軍が海から直接救援に入ったところ。
5月にやっと広島からフェリーが来て、本土と通じたがいまだに瓦礫処理などが遅れている。
島に渡ると、これが出迎えてくれる。
高さ20mもの津波が襲ったそうで、丸ごと飲み込まれた家も多数。
軽トラックに乗って移動。
主な作業は、
①田んぼ・畑に積まれた、あるいは散らばった瓦礫の撤去。
②田んぼの水路に溜まった海砂の掻き出し。
③津波で流された建物跡の瓦礫の分別、撤去。
田んぼには瓦礫が溜まっているところもあれば、ガラスの破片や瓦の割れたのが散らばっていたり。
地味な作業だが、取り除かないと田んぼが使えない。
また水路には海砂が溜まっているので。それをスコップで掻き出す。草が邪魔して結構な重労働。
水路は長く、作業に取り掛かる前は一日では終わらないかも、と感じたが20人がかりでやると案外できてしまった。水が下まで流れたときは皆大喜び(^.^)
もちろん、水が通っただけではまだまだ。
かなりの海砂が畑・田んぼに入ってしまっているので、取り除くなり、ひっくり返すなりしないと塩害で作物は育たないハズ。遠い道のりだ。
この田んぼのお母さんには本当に喜んでもらい、「ボランティアの人たちが来てくれるから、私たちも元気出さなきゃと思う。」そして「忘れられるのが怖い」と。
たしかに、マスコミの報道は原発関連ばかりで津波の被災地のことはわずかになってきている・・・。
津波はこの坂をも駆け上がり、上の住宅まで。
とにかく、「信じられない」ところまで津波が襲ったことが分かる。
2日目も大島。
大島災害対策本部の指示のもと、港横の建物のあとの瓦礫の分別作業。
他のボランティア団体一緒になっての作業。
瓦礫をなんと13種類に分別しなくてはならない。
これも難しい問題。
細かく分けないと処理業者が持って行ってくれないそうだ。
災害直後の「とりあえず外に出す、場所を移す」瓦礫撤去から、「分別して処分する」瓦礫撤去へと中身が変わってきている。
何がどの分類になるか難しく、ザックリした性格の私には向かない作業だったが、なんとかやり終えて・・・。
これは、休憩に使わせて頂いた家に残っていた時計。
第2波(最大の津波)が襲った3:26を指して止まっている。
3日目の話は、また(^.^)
















