久しぶりにUPする記事が、こんな大事件になろうとは思いもよりませんでした


11日(金) PM2:46 地震発生


職場の自分のデスクで、頼まれ物を計算すべく PCをたたいていました・・・ と、その時 体に感じる揺れ


地震だ~」と、思ったものの 「ま、いつものちょっとした”震度1か2”レベルの揺れでしょ」なんて、甘く考えていました


ら、とんでもない!!


徐々に激しい揺れになり、しかも長い!!!!


デスクの下に入ろうとしたものの、デスクも揺れる揺れる!! ショック!あせる


パニックでしたビックリマーク


・・・ひとまず揺れも落ち着いて、デスクの下から這い出したら・・・


PCは倒れてるし、書棚の扉は開いていて 中の書籍や書類も散乱 目


わたしが仕事している場所は、ビルの5Fなんですが 古いビルのためか、かなり揺れた気がします


即座に自宅に電話をすると、母が出て 「プー(長男)と、玄関で抱き合っていたのよ」との事


とりあえず、無事を確認し ホッとしました DASH!


プー(長男)は、金曜日 午前授業だったので、自宅にいたんです それで、宿題を仕上げたら お友達と遊ぶ約束をしていたようなんですが 余震が気になったので、こんな状況だから・・・と、遊びに行かないようにさせました


それからしばらくして、新幹線や地下鉄 空港 あらゆる交通網がストップしてしまい 「今日、わたしはどうやって家まで帰ろうか・・・」と、考えていました


ダンナの職場は、自宅から近いので 双子たちが通う保育園へのお迎えは大丈夫


残るは、自分自身 かお


携帯電話のワンセクで、地震の報道をず~っと見て考えていました テレビ


そして、「自転車で帰ろうビックリマークDASH!」と 決めて、仕事を終え 自転車で走りだしました 自転車


金曜日は、晴れていたので いつも通り会社の最寄りの駅の駐輪場に停めているママチャリで会社まで来ていたんです


職場から、自宅までは 約8km~10kmくらいだろう 帰れない距離じゃないし、自分で車も運転しているから 方向も分かる


職場から、○○通りに出ると そこは、人  の群れ!! でした


みんな地下鉄は使えないし、自分の足で帰るしかない人


それでも、みんな我が家の方向へ向かって一歩ずつ足を動かしていました


わたしは、恵まれている わたしは多分 この歩いている人たちよりも家も近いし 自転車というアイテムももっているじゃないビックリマーク


と、走りだしました


が、あまりにも多い人で 歩道を走行するのはとてもじゃないけど無理ビックリマークあせる


なので、渋滞中の道路の端をバイクに気を付けながら 走りました

(でもね、ほんと 歩道がいっぱいいっぱいで、道路を歩いている人もいたのよ~)


幹線道路は、人の波に押されて とてもじゃないけど進めない・・・ので、裏道をひた走りました


車でも通ったことのない、初めての道


電柱についている住居表示を頼りに、「あ、ここは●○なんだ」と、だいたいの勘で横に入ったり、横断したり・・・


わたしが帰る方向は、何本かの川を越えなくてはいけないので その川を越える時だけ幹線道路に出ました


ひた走ること、約一時間 時計


ようやく我が家へ辿り着きました ガックリ PM6:15


その後、あんな揺れがあったにもかかわらず いつもと同じ我が家


電気もつくし、ガスも通ってる 


違うのは、外の風景だけ


高速道路は静まり返り、幹線道路は渋滞 その横の歩道を切れることなく黙々と歩き続ける人波


あ~ これは現実なんだ テレビで映っている街は 東北地方で本当にこんなふうに津波に呑み込まれてしまったんだ」と、改めて思いました


翌日 土曜日 毎週の通り、シーツをかけに保育園へ行くと 園長先生がいて・・・


昨日は大変でしたね」と、声をかけると 「最後のお迎えは、PM10:30頃だったの でも、この保育園は良かったのよ 他の保育園じゃ、泊まった(親が迎えに来られなくて)子もいたのよ」と、おっしゃっておられました


子どもを保育園に預けている親御さんは、”何としても引き取らねば!!”と思って、歩きつづけたのでしょう・・・


それを考えると、「わたしは恵まれている


被災地の方 まだ、身内の方の安否がわからない方 家を失ってしまった方 避難を余儀なくされている方 救出を待たれている方


その方達のことを思うと、「本当に我が家は恵まれている


子どもたちに、どうしてずっとテレビで地震の事を報道しているのか どうして日曜日のPM6:30なのに”サザエさん”が映らないのか さとして説明しました


今は良く分からなくとも、自分が小さい頃 こういう事があった お母さんがこんな話をしてくれたと、覚えてくれればいい


今は、今後 強い余震がおこらないように・・・ 雨が降らないように・・・ 一人でも多く救出されるように・・・ 原発がおさまるように・・・ 避難されてる方が早く自宅に帰れるように・・・ 被災者の方が元の生活に一日も早くもどれるように・・・


祈るばかりです


わたしも、我が家も 今できること ヤレることをやらなければ・・・


少しでも、お役にたてるように


島原に住む、祖母や叔父たちが 普賢岳の火砕流の災害に合った時に 募金や物資の支援をしてくれた方が 東北にも必ずいるはず


その方達に、今度は恩返しをせねば・・・


そう思っています