私の中の「不安」と「まさか」は・・

 

12月中旬の手術の日までの約2カ月間、

私を支配することになります。

 

 

 

この2カ月間、私は

ただただ、おろおろするばかりの

情けないオヤジでした。

 

 

 

現実を受け止められず、

将来を見据えられません。

 

 

今、すべきことを考え、

身近な人へ相談したり、

行動にも移せませんでした。

 

 

 

本来すべきことを私は

 

2ヶ月間も、

うっちゃってしまっていました。

 

 

 

現実を受け止められず、

悲しみにうちひしがれて、

 

ただただ、おろおろし、

泣き沈むばかりでした。

 

 

 

あの高速インター入口での妻との電話から、

2、3週間経った頃

 

 

11月の初旬、医師から

妻の病名を告げられました。

 

 

 

 

大腸 がん !?

 

ステージ4 ・・

 

 

 

あまりに衝撃だったせいか、

この頃の私の記憶は、ほとんどありません。

 

 

 

 

ただし、その後の行動の中に所々、

鮮明に覚えていることもあります。

 

 

 

25年以上も前ですから

 

当時は今と違って、医師から

直接、本人に向かって

大腸がん だと告げる事はありませんでした。

 

 

一方、配偶者である、私には告げられました。

 

 

 

 

それから本人に癌だと

告知するまでの約2ヵ月間、

 

私は妻に癌であることを

告げるかどうか、またいつ告げるか、

1人で悩むことになります。

 

 

 

娘に対しても同様です。

 

 

 

 

自分の母が癌だと知った娘は、

どう思うのだろうか?

 

 

どんなに受け止められないことか?

 

 

 

 

私自身が受け止められなかったため、

娘も同じとしか考えられませんでした。

 

 

 

 

りくりゅうペアのように、

リフトで失敗し、木原龍一さんが

泣き続けた状況に、

それまで妹的存在だった三浦璃来さんが、

 

「このピンチは私が何とかしなければ」

 

 と立ち上がることも

 人にはあるのですが、、、、、。

 

 

 

私には荷が重すぎました。

 

 

 

口に出せない、相談できない

 

と言うことがこれほど苦しく辛く、

 

 

胸が締め付けられる思いとは?

 

想像だにしませんでした。

 

 

 

 

今まで体験したことのない

途方もない巨大な苦しみでした。

 

何とも言えない吐き気が

何度も私を襲いました。

 

 

 

11月初旬から12月半ばまでの間、

約1ヶ月半は、食事が喉を通らなくなりました。

 

人生で、初めての経験です。

 

 

 

体重は1ヶ月半の間に

4、5キロ減りました。

 

 

62キロあった私の体重は

57.5キロまで落ちていました。

 

情けない話ですが、、、、

 

 

1人で抱え込んでいました。

 

 

 

 

さらに情けない話があります。




(画像は、イメージです)





この頃の記憶は、1日に15回ほど、

約5分間、1日の中で1時間半くらい私は

号泣していました。

 

 

私の家から営業担当エリアまでは、

車で約40分かかります。

 

この40分の間に5回は車を止め

5分間、車内で泣き続けます。

 

 

 

それも大号泣。。

 

 

 

 

 

その後は、1時間毎に5分間の号泣。

 

この状態が1ヶ月続きました。

 

 

 

 

 

その間、私の記憶にあるのは、執刀医の自宅に

妻の手術のお願いに訪問したこと。

 

あとは、ガン封じの神社に祈祷してもらいに

行ったことくらいです。



 

 

 



私が妻をサポート

しなければならないのに………。

 

 

娘ともっと接しなければならないのに!

 

 

 

 

愛する家族を支える時に

私自身が潰れてしまっていました。

 

 

これが私の姿でした。

 

 

 

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