今日もお寄りいただき 

ありがとうございます。

 

今から25年以上も前の話です。

 

 

妻の末期がんが判明して4か月後の3月、

私たち家族3人は、2泊3日で

長崎とハウステンボスへ行きました。

 

最後の家族旅行

 

私は、この旅行が

最後の家族旅行になると

覚悟していました。

 

 

 

妻と私は妻の病気の現実を知っていましたが、

中学一年生だった娘には、

まだ本当のことを

伝えていませんでした。

 

手術から3か月。

わずかな希望を信じたい

気持ちはありましたが、

決して楽観できる状況ではありません。

 

 

この長崎旅行で、私は

ハウステンボスでの船上ディナーを

申し込んでいました。

 

 

 

 

船の窓越しに見える外のとばりが落ち、

少しオレンジがかった照明が

海の上の船上ディナーの雰囲気を

醸し出してくれました。

 

私たち家族はこういったディナーが

結構が好きでした。

 

しかし、私の心の中は、

最後のディナーになるのではと、、、、

 

 

 

 

 

私だけが最後のフレンチと思っていたのか?

妻もそう思っていたのか?

今となってはわかりません。

 

 

いいえ、娘さえも、、、、

 

娘は一見楽しそうにしてくれていました。

 

反抗期ど真ん中の娘、、、、

しかし、そこには娘なりの

家族への気遣いがあったのではないかと、、、、

 

 

11月の検査入院、12月の手術、

手術後の長期入院。

毎年恒例の3姉妹家族合同の年末スキーも、妻は欠席。

妻の実家で、迎える恒例の正月もないまま。

妻は入院のため、その年の正月は娘も私も

名古屋の自宅でした。

 

2月に東京の末期癌専門クリニックに行く際も、

娘はおばあちゃんとお留守番の状態でした。

 

このような日常がずっと続いていたのですから、

娘が何も感じないはずがありません。

 

 

 

 

妻の入院以降、そういえば私への反抗的な言葉使いも

少なくなった気がします、、、、

 

娘なりに感じていることがあるものの、

2泊3日の旅行に出かけるまでに妻が回復した今、

娘が楽しそうにしている姿だけが

私たち夫婦にとって

何よりの救いだったことは間違いありません。

 

ハウステンボスで撮った一枚の写真は、

後に、娘にとって

母との最後の思い出の写真

になります。

 

それは今でも娘の目の届くところに、、、、

 

 

 

 

 

 

 

それから3年後、

営業所長となった私は、

営業所旅行の行き先として

ハウステンボスを提案されます。

 

しかし、その名前を聞いた瞬間、

胸が締めつけられました。

あの日の記憶が一気によみがえり、

どうしても受け入れることが

できなかったのです。

結局、

その案は立ち消えになりました。

 

今でも、

「あの時、みんなの希望を

優先できていたら」

と思うことがあります。

 

それでも、もし人生をやり直せたとしても、

私はきっと同じ選択をしたでしょう。

それほど、私の心の傷は深かったのです。

 

 

 

 

 

人生には、自分の努力では

変えられないことがあります。

 

避けたい場所へ導かれたり、

望まない病気や事故、

災害に見舞われたり、

「どうして私だけ」と

問いかけたくなる出来事があります。

 

健康に気をつけていても

病気になる人はいます。

大切な大舞台の直前に

けがをする人は少なくありません。

そこに努力や人柄は関係ありません。

 

私はそう思います。

 

 

 

最近になってようやく私は、

望まない運も人生の一部なのだと、

思えるようになりました。

 

納得しているわけではありません。

悲しみが消えたわけでもありません。

 

それでも、人生には

自分では選べない出来事がある、、、、

 

 

全てが人生。

 

そう思える日が来るまで、

私はずいぶん時間がかりました。

 

 

今日もお読みいただき

ありがとうございました。