娘から打ち明けられたのは土曜日の夜で、娘が傷付き辛い思いを抱えていることは分かった訳です。頑張って行け、は娘の場合は違うと思いました。頑張ってもダメだったのだから。確かに、人間、生きていれば嫌なことや傷付くことなんて山ほどあります。社会の中で生きていくということは、それらの困難に、その時々で適切な距離を取りながら対処していくということです。そういう意味では、困難から逃げてはいけないのは当然のことなんです。社会で揉まれて、強くなっていかなくてはならない。それを放棄するなら、引きこもるしかなくなってしまいます。
だから、学校に行かなくてもいいとは私は思いません。一時的に行けないのは仕方ない、のであって、いずれは社会に出さなければ本人が可哀想です。社会というのはすなわち人との関わりですから、社会と関わらない世界は、人と関わらない世界、ひとりぼっちの世界です。たまに楽しむ一人の自由な時間とは違うのです。もちろんそもそも学校のような集団生活が合わない、どうしても耐えられないという人もいます。そういう枠にはめられないタイプの人は、また違った対処が必要になると思いますが、娘はそこまでいきません。自分で「大学から社会復帰したい」と言っています。高校も頑張りたかった、のです。
でも人間、最初から強い訳じゃないから、いきなり何でも乗り越えられるわけじゃない。その時々の心の限界というものがあります。認知の歪みもあります。心が壊れてしまったら元も子もないので、限界を越えないように防衛反応が起こります。ちょこちょこサボったり誤魔化したりしながら上手いこと、少しずつちょっとずつ壁を越えられたらよかったのだけれど、娘の場合は、その時の高校という社会の中で自分に起こった困難が娘には大きすぎて上手く対処し続けていくことが難しかったということです。だからといって娘はダメ人間じゃないし、人生終わりでもない(本人はそう思ったみたいですが)。
だから、どうするか。めんどくさいと思ったというのは、できるだけ早く娘を社会に戻すにはどうしたらいいのか、行動せばならない(したい)、助けてやらねばならない(やりたい)から、めんどくさいなあということです。