振り返って思うことを書きます。
娘は高2の5月に学校に行きづらいと訴え、親子で充分話し合い、一週間経たないうちに転学することを即決しました。
愛する娘の苦しむ姿は自分のこと以上に辛く、居場所のない学校に寂しく耐えている姿を想像するだけで胸が締め付けられる思いでした。
なので、学校へ行きなさいとは言えませんでしたし(もうその時点でそれまで無理していたこともわかっていましたし)、ありがちな朝の、行くの?行かないの?のやり取りは一度もしていません。なので、我が家の場合は、いわゆる不登校という期間はなく、作らないでさっさと辞めたという形でした。
「本人が行くと言う」のは当然だと思います。でも言うだけではなく、体で実行できるかが問題で、口で行ける、行きたいと言っても体が行けないのなら、行けない、行きたくないが本当だと思います。本当の方に目を向けた方が、いいと思います。『「行くと言う」のが嘘とか詐欺』とかではなくて、『「行くと言うのに行けない」のが事実(真実)』だと思います。
あと、本人に正常な判断力があるのか。人間、疲れたり心が弱っている時は、正常な判断はできません。そんな状態にある本人に判断を任せて、良くなればいいですが、本人に判断力のない場合は、待っていても逆に状況がどんどん悪化してそこからの回復に時間がかかることになってしまうように思います。周りの人が客観的に見てある程度導いてやることも時には必要だと思います。病気でも早期に治療した方が回復が早いように。でも本人が治療を拒むならどうしようもないので、その辺りは家族や関わる人との信頼関係や本人の性格もあるので、一概に簡単にはいかないことも理解しているつもりです。
だから本人が決めることにこだわりすぎるのもどうかと思います。結局、結果論なんです。他人に決めてもらったってうまく行けば何も文句は出ないですし、自分で決めなさいって言うのは上手くいかなかった時に他人のせいにしない為ですが、すべて自分の責任と言われてしまったら怖くて自分で決められなくなる人もいます(人に決めてもらうっていうのは、責任転嫁の逃げ道でもある)。判断力がなくなっている時なら尚更です。決断するというのは勇気とエネルギーの要ることだからです。経験と知識も必要な、面倒なことです。経験も知識も乏しい幼稚な子に、私は知らないから全部自分で決めなさいは酷です。自分で決めて失敗して学んでいくことが大事ですが、賢い人ほど他人の経験から学ぶのです。人の助言も聞いて部分的に上手に受け入れていくというのが理想ですよね。「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」「賢者は愚者に学び、愚者は賢者に学ばず」とはよく言ったものです。
娘は転学してからは、高校を変わってしまったというコンプレックスを持ちつつも、大学受験という目標に向かって元気に過ごすことができて、少しずつ自信も回復していったように思います。だから早く転学を決めて良かったと思っています。でも、もしあの時に確実に娘の問題を解決して学校が辛くなくなる解決策を講じられるのなら、続けさせたかったです。決めたからにはもう後ろを振り返らず、前を向こうと決めました。なので、それ以降は、娘が転学したことはネガティヴに引き摺らずに、一高校生、一受験生と思って過ごして来たので、私自身は転学したことをことさら意識することはありませんでした。このブログでもそこを強調してきていないと思います。通信制高校から大学受験というのも、もう珍しいことでもありませんしね。通信制へ逃げたことで、娘はスマホに逃げることなく、勉強を続けられたと思います。