なにをやるにしても、「人のため」に動けないと報酬は得られないじゃない?

「人間嫌い」はそれの妨げになる気がして、

どうにかならないかなぁ?と思って。

「人間嫌い」系の本を5冊読んだので

ちょっとまとめ



読んだのは

①『人間嫌いのルール』『ひとを〈嫌う〉ということ』(中島義道氏)


②『人間嫌いの言い分』(長山靖生氏)


③『人間アレルギー』(岡田尊司氏)


④『人間嫌いが成功する 組織が必要としている人格』(平井富雄氏)



中には結構古めなのもあったりするけど、全然今読んでも通用する

…というか、平井富雄さんの本なんかは発行当時では早かったんでない??とか思うのだが…?

中古しかないしw



〈各本の『人間嫌い』の定義〉

①『人間嫌いのルール』『ひとを〈嫌う〉ということ』

「他人への関心が無いのに、他人から関心を期待されるのが嫌」

②『人間嫌いの言い分』

「『つるみ系』でない人」

※つるみ系=「みんなと同じ」であることに価値をおく人

③『人間アレルギー』

人間嫌い≒人間アレルギー=過剰な(人間に対する)異物認識と心理的拒絶反応

④『人間嫌いが成功する 組織が必要としている人格』

「人の言葉に左右される他人志向ではなく、自我を確立させた上での自己志向を持っている」

「和して同ぜず」


〈各本の主張する人間嫌いの特徴〉

①自他に対する誠実さを大切にする

自我・共感を期待されても共感出来ないことには共感しない

②いつも本当のことを口にし、本音と建前のダブルスタンダードを拒否(①で言う自他に誠実)

個性を重視、多様性を受け入れる、自分自身に帰属する(④で言う自我が確立されているから他人の個性を受け入れられる。①で言う他人のわがままを許せるので、自分のわがままも許して欲しい)

③愛着障害パターン分類による

④自我が確立されている

→自分のことを理解している

→他人の意見もそれはそれとして受け入れられる(自我と世間体の同居)

孤独や逆境に強い

頑固



〈各本の主張する対策〉

①「嫌い」を味わい尽くす

「好き」も「嫌い」も両方ある方が豊かな人生では?

自らの欲望にごまかしなく働く形を探り当てることは可能。

⇒ひとりでできる職業に着く、

または、組織内で割り切って働く(「仕事ができる」「勤勉」「誠実」が必要)

②妥協(みんなと同じ)せず、また他人に妥協を強いない、自分を持っている人間こそ豊かな人生を送れる

対立し合うことはキチンと人間と向き合っている証拠(①で言う「好き」も「嫌い」もあってこそ豊かな人生)

⇒自分や意見や好みはキチンと持つ

孤独(他人と違う)ことを受け入れる

「いいこと」はしない

極力関係の窓口を狭める、ただし完全には遮断しない

③脱感作(少量づつ根気よく)

言語化→分析→リフレーミング⇒メタ認知が必要

④神経症傾向や強迫観念、恐怖傾向を防ぐためのメタ認知

二枚腰の対応力

距離を置きながら強調していく(和して同ぜず)


〈まとめ〉

〇人間嫌いとは?

自我が確立されている

他人の個性(多様性)を受け入れられる

自分の欲望に誠実で正直

⇒「他人のわがままを許すので自分のわがままも許して欲しい」


〇対策は?

無理に人間嫌いを直そうとしなくてもいいのでは?

二枚腰の対応が必要(柳に風&時に自己主張)

メタ認知が必要

メリットとしては自我志向(自我が確立されている)、多様性を受け入れられる


〇積極的に他人と関わろうとするかどうかは著者による

①②は狭めるが完全に遮断しない

③少しづつ慣らしながら(脱感作)

④は距離を置きながら協調(①②に近いか?)


〈5冊よんで自分はどうするか〉

欲を言えば、

『自分に関心を向けてくれなくていいので、他人から関心を期待されたくない(他人のわがままを許すので自分のわがままも許して欲しい)』がコモンセンスになればいいのになぁ( ´・ω・`)

と思ってるけどそんなことは無理なので、せめて、『そういう考え方もある』という配慮されるくらいは許されても良くね?と思うのだけど…

ボクにやれることは、

  • 自分軸で考えることは止めない
  • 人と対立することは人生を豊かにする糧だと捉える
  • メタ認知は必要
  • 多様性を考えることも止めない
  • 「嫌」と思ったことを分析して視座を変えてみる
  • ひとりで(必要最低限の人と関わって)生きる方法を考えてみる


解決してない気がするケドw
「人間関係の対立があってこそ豊かな人生では?」
って見方ができるのは良いな、と思ったので読んだ価値はあったかな(いよいよ人間嫌いこじらせてる感もあるけどw)

どの本も言葉選びが違うだけで似たようなことを言ってることが多いよね。

前に読んだ『具体⇆抽象トレーニング』でコミュニケーションギャップの根本原因として『他人のことは一般化して抽象レベルで捉えるが、自分のことは特別視して具体レベルで捉える』って書いてあって。まさに『他人のわがままを許すので、自分のわがままを許して欲しい』の真逆のやつやなぁと思って。
人間嫌いというか、具体しか見れない人が嫌いなのかな…❓