わたしは、

娘が一年生と六年生のとき、学代になった。

学代とは、学級代表委員のことだ。

一年生のときは、

娘のためとか、

少しでも学校の事を知って、

早く馴染んで、少しでも貢献したい。

みたいな気持ちで、引き受けたと思う。

一年生は、その頃3クラスあった。

他のクラスの学代のお母さんも、

皆んな一人っ子だったので、

すぐに意気投合して、楽しかった。

ある日、

レクリエーションをするということで、

お菓子を配ることになったのだが、

お菓子のことで、

急に意見を言って来るお母さんがいた。

話しを聞くと、

うちは、お菓子は全部手作りだと言う。

家ではいつもそうしているそうで、

添加物が入ったものは、上げられない。

と、いうことだった。

わたしはこれを聞いたとき、

手作りかぁ…

偉いなーという気持ちと、

それとは逆に、

わー、めんどくさい!

と、いう気持ちにもなった。

わたし自身も、

アレルギー体質なこともあるので、

アレルギーとかがあって、

そういったお菓子がダメなお子さんがいることも、

重々承知していた。

けど、一人の人の言うことに合わせると、

またこちら側ではやだと言われ、

そうすると、

全員の意見を全て聞いて決めることは、

不可能だ。

わたしはこのとき、

人をまとめるって大変!

と、しみじみ思った。

これをさらにその上で、

3クラスの学代が、

ひとつにまとめて決めねばならないわけで、

文房具はどうか?

とか、最後まで、難航した。

結局予算の中で、

単価×人数を考えると、

子どもが喜ぶお菓子が一番いい!

ということになった。

そこで、

いろいろなお菓子を袋詰めをしたものと、

鉛筆だったかな?を、

子どもたちに渡す。

と、いうことになったのだが、

お菓子に関しては、

砂糖がダメだから…

というお母さんもいたわけで、

一部のお母さんたちには、

頭を下げて、

そこは、折れてもらうカタチとなった。

それから娘が六年生になるまでは、

わたしは、仕事だったり、親の介護で、

学代は引き受けなかったのだが、

なぜか、娘が六年生になるときに、

最後の学代にクラスから推薦されてしまった。

わたしも最後だからと、

これを引き受けることにしたのだが、

この六年生の学代は、

今思い出しても、

イヤなことしか、思い出せないのだ。

なにがイヤだったのか?

話そうと思う。

まず、他の2クラスの学代のお母さんたちに、

無視をされたからだ。

この2人は、

お互いがもともとママ友同士で、

大の仲良しだった。

わたしはまず初日に、

この2人から、

学代の代表を押し付けられた。

あみだクジもジャンケンもなくだ。

お願いねー!と言うと、

2人とも、プイッと帰ってしまった。

こちらもそのまま引き受けるのはやだったので、

声を掛けに行くのだが、

その後、何度声を掛けても無視なのだ。

代表の提出期限もあったことから、

(なんて、失礼なんだろ)

(あー、先が思いやられるな…)

と、落胆しながら仕方なく引き受けたのだった。

それから代表は、

毎回学代委員会というものに、

出席するのだが、

わたしは、

ここのさらに委員長にも、目を付けられた。

この委員長が、

最初は有志だと言っておきながら、

委員長の一存で、

学代全員が強制させられるという、

勝手に決められた案があって、

そのことで一度意見を言ったことが、

どうも気に入らなかったらしい。

しかもこの委員長は、

同じマンションの住人だった。

それが、非常にまずかったのだ。

それから、

他の2クラスの学代とは音信不通なまま、

六年生の最後の出し物を決める時期になって、

他の2クラスとも、よく話して来てください。

とのことで、

わたしは他の2クラスの学代のお母さんたちを、

校内で見つけては、声を掛けた。

しかし、わたしが隣にいて、

話しかけているにも関わらず、

聞こえない振りをするのだ。

相変わらず、無視をされた。

(おいおい、この歳になってイジメか?)

(なんなの?この人たち…)

そんなふうにいつまで経っても、

拉致が開かないので、

わたしはわたしで、

クラスのお母さんたちに、

なんの出し物がいいか?

聞いてみたりしていた。

するとある日、

学代の委員長から、電話が掛かって来た。

目を付けられた人である。

電話口で話すといきなり、

「貴女、なにやってるのよー」

と、言うのだ。

要は、他の2クラスの学代のお母さんたちから、

わたしにクレームが出ていると言うのだ。

どうも話しを聞くと、

わたしが、自分のクラスのお母さんたちに、

出し物について聞いたことが間違っているらしい。

クラスの意見など、聞かなくていい。

と、言うのだ。

(なんなの?)

(クラスのお母さんたちに聞いてなにが悪いの?)

(何回声掛けても、無視したくせに…)

(この人たち、一体なんなんだろう?)

と、思っていると、

この委員長から、

信じられない言葉が返って来た。

「貴女が悪いのよ、まとめられないんだから」

「今日ね、後の2人も呼んでファミレスで話すから」

「いい?〇〇時に〇〇よ、来てね」

そう言うと、

委員長は、電話を切った。

わたしは慌てて、

学代の副委員長を務める人に、

電話を掛けてみることにした。

彼女は、

娘のクラスで同じになった事があるお母さんだ。

ねぇ、今わたしこうこう言われたんだけどね…

どう思う?

と、彼女に事情を説明しながら聞いてみた。

すると、

「いやー、わたしは〇〇(わたし)が正しいと思うよ」

と、言うのだ。

わたしは、

味方がいた!と、ばかりに、

内心、ホッとしていた。

ねぇ、今夜〇〇さんも来るの?

と、聞くと、

「うん、もちろん行くよ」

と、言う。

わたしは電話を切って、

約束の時間になると、

単身、このファミレスに行った。

すると、すでに皆んな来ていた。

ファミレスの大きなコーナーの席を、

ドーンと陣取って座っていた。

そのとき、

ただならぬ異様な空気が流れた。

わたしはそれを感じ取った。

(わー、これはハメられたな)

と、そのとき気が付いたのだ。

ボスママ(委員長)がこれ見よがしに、

わたしのほうを見ている。

(女って怖いなー)

(よし!決めた!)

(わたしからはなんも喋らないよ)

わたしが席に座ると、

ボスママの一人劇場が始まった。

わたしが皆んなをまとめられないこと。

いかにわたしがダメダメで、

他の2クラスの学代のお母さんたちは、

大変困っていること。

その上で、

いろいろな指示を、

わたしに出して来たのだ。

わたしはというと、

この間、無言だ。

わたしが正しい!

と、言ってくれた、

さっきまでは味方だと思っていた、

副委員長のお母さんも、

ボスママが話すことを隣りで、

うんうん。

と、頷きながら聞いている。

わたしはこの光景を見ながら、

(まるで極妻?)

(いやいや、そんないいもんじゃない)

(なに?この人たち…次元が低すぎる!)

と、最後まで、

ボスママが話すことを聞いているだけで、

とうとうひと言も、喋らなかった。

その様子に向こうは、

どうも拍子抜けしたようだった。

多分、わたしが反論して来るだろう。

そしたら、

皆んなでとっちめてやる!

くらいに、考えていたのだろう。

なにしろ、ハメられたのだから。

ハメられたなと思ったら、

ジタバタしても、意味がないのだ。

はじめからなにか通じるくらいなら、

こんなことしないだろうし、

こんなふうになってはいない。

わたしがなにも喋らなかったので、

ボスママに花を持たせたまま、

その場は、すぐにお開きになった。

その3日後だ。

このボスママに、天罰が下った。

ソフトボールの試合を観に行って、

腕を骨折したらしい。

わたしは学校で、

偶然ボスママに会った。

大丈夫ですか?

お大事にしてください。

と、声を掛けた。

わたしが声を掛けたので、

彼女はバツの悪そうな顔をしていた。

誤解のないように言っておくが、

わたしは彼女に念とかを送ったわけではない。

これは昔からなのだが、

わたしになにか危害が加わると、

その本人に天罰が降りることに、

どうもなっているようなのだ。

それは自分に、

一点の曇りもない場合に限る。

小さいときから、

もう何度も起きてるので、

わたし自身は、そう思っている。

だから、どうしようもないときは、

天に任せよう。

と、思っていた。

そしてこの後、

あの無視をし続けていた、

他の2クラスの学代のお母さんたちが、

わたしに謝って来たのだ。

わたしは彼女たちを許し、

はじめてまともに話しをした。

そして、ひとつにまとまることが出来た。

娘の卒業に向けて、

全てが動き出したときだった。

Keiko 

つづく