母親が作った借金も返済し、

スッキリとしたところで、

わたしと父親の同居生活が始まった。

わたしは、父親から通帳を預かり、

今後の家計管理を任された。

自分はいつどうなるか分からないので、

後は頼んだぞ。

と、いうことだった。

また、

自分の財産は、母親と兄には渡さないでくれ。

とも、言われた。

理由は、なんでも使ってしまうからだと言う。

父親はこのとき遺言書まで自筆で書いた。

そうは言っても、

(これは無理だろうな…)

と、このとき思った。

それは何故かというと、

母親だからである。

母親は、欲のある人だった。

精神疾患の症状が出ていて、

わけがわからないときはともかく、

クスリで落ち着いているときは、

こういったお金が絡んだこと、

ましてや嫁に行った娘が、

自分の家のお金を管理することなど、

許さないであろう。

恐らく言ってくるだろう。

と、踏んでいた。

それでも父親からの懇願を無下にも出来ず、

わたしは父親の書いた遺言書を、

ひとまず受け取った。

それから父親との生活は、

1か月に及んだ。

本人もまだ食べれる元気があったのと、

食い道楽ゆえに、

とにかく美味いものが食いたい!

とのことで、

こちらがなにか料理を作るつもりでいても、

やれ、何処どこの蕎麦屋に行きたいとか、

何処どこのステーキが食べたいとか、

今日は中華が食べたいと言い出しては、

その度に、一緒に出掛けた。

もともと、

本人がしたい事をしてもらえればいいか。

と、思ってした退院なのだから、

それはいいのだが、

それにしても、

お酒まで飲むには、ビックリした!

このときの父親は、

貴方ホントに病気ですか?

と、こちらが思うほど、

生きる!ってこと、

生命力に溢れていたと思う。

温泉にも行った。

娘とふたりで行くのが恥ずかしいのか、

相変わらず、

江戸っ子気質で口は悪かったが、

終始嬉しそうであった。

ある日のこと、

いつものようにふたりで出掛けると、

わたしに御礼がしたいからと、

VUITTONのバッグを買ってくれた。

父親はサプライズが結構好きな人だったので、

このときばかりは、嬉しかった。

そうした父親との生活も、

1か月が経とうとしていた。

彼のお母さんとの約束の期限は、1か月だ。

お母さんも、

そろそろ四国に帰らなければならない。

お母さんが帰ったあと、

父親のことをどうするか、考えた。

それから彼と今後の相談をして、

この先どうなるかは分からないけれども、

父親をわたしの自宅に連れて帰ろう!

と、いうことになった。

そして、

とうとう彼のお母さんが帰る日がやってきた。

わたしはお母さんに、

今まで娘の世話や家のことをしてくれたことに、

厚く厚く御礼を言って見送ると、

今度は、父親を自宅に連れて帰って来た。

しかしそのことが、

やがてわたしたちの生活に、

思わぬ波紋を呼ぶことになる。

Keiko 

つづく